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ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第21番《ワルトシュタイン》/ 同第23番《熱情》/ 幻想曲
(レコード芸術2011年5月号/特選盤)
幾点かのディスクを通じ、これまでも「信頼の置けるピアニスト」の思いを与えられてきた上野真が、ここにまた一段、ピアニスト= 芸術家としての品格を高めるかのような1枚を送り出した。このたびはフォルテピアノを手がけて、ベートーヴェンの名作ソナタ2篇を聴かせるのだが、自身執筆の詳細な解題からも明らかなように取り組みの周到さは完璧なものがある。山本宣夫氏(ウィーン芸術史博物館で歴史的鍵盤楽器類の修復に当たって来られた人、氏のコレクション内にはオリジナルの状態をよく保つ銘器が多いという)のもとから借り受けたマテウス・シュタイン(ウィーン、1820年)およびジョン・ブロードウッド(ロンドン、1816年)の両フォルテピアノを用い、前者で《ワルトシュタイン》および《幻想曲》作品77を、後者で《熱情》を弾いているのだが、演奏ぶりからは、独特なそれぞれのペダル用法も含め、フォルテピアノの活かし方をよく極めた人ならではの境地が伝わってくる。ベートーヴェンがこれらの中期作品を書いた年代とこれら両楽器の製作年代とは必ずしも一致しないが、何はともあれ、両ソナタはここに、2通りのフォルテピアノの上で、まさしく真の生命を得て甦るのである。ひとつの言い方をすれば、このようにして聴いてこそ、彼の時代におけるベートーヴェンの真の偉大さが解る。ちなみに《幻想曲》作品77がしきりに転調を繰り返す意味も、こうして聴いて初めてわかる気がする……。
(濱田滋郎)
上野真が山本・コレクションの2台のフォルテピアノで《ワルトシュタイン》と《熱情》、《幻想曲》を弾いている。まず、シュタインの息子マテウスが1820年頃に製作した楽器による《ワルトシュタイン》。ウィーン式アクションだが、ブロードウッドかと思ったほどの重厚なサウンドで、第1楽章冒頭などは和音の刻みが地響きを上げて邁進する。力強くて指巡りもいい。モデレーターを用いた中間部から終楽章への移行が聴きどころで終楽章冒頭の幻想的な響きがすばらしい。より打鍵に対する繊細な感受性があればもっとこの時代の楽器特有の自然な響きや語りの音楽ができると思う。もっとも欧米でもモダンとフォルテピアノの両方を弾くピアニストに「語り」を感じさせる人はほとんどいないのだが。一方《熱情》はブロードウッドが1816年に製作した6オクターヴ。イギリス式アクション、3本弦、2つのうち1つは2本弦や1本弦のシフト・ペダル。こちらも強いエネルギーに満ちた重厚なサウンド、安定した構成を感じさせる秀演。より華奢なウィーンの楽器とは違った味わいだ。論理的な音楽の組み立てや緻密な表現に加えて、フォルテピアノ特有の幅広い強弱や音色の彩りの豊かさ、透明なテクスチュアによって、大変に聴き応えのある演奏に仕上がっている。《幻想曲》は再びシュタイン。即興演奏をそのまま譜面にしたような曲にふさわしい演奏。ファゴット・ペダルがユニークな表現を醸し出している。
(那須田務)
[録音評]多少近い印象はあるが、頭を突っ込むほどではないし、2台の楽器の音色や響きの質感などをバランスよく捉えている。タッチも明快で、CD層もそれぞれ機構の異なるふたつの楽器のペダルの効果なども十分伝えている。SACDも2 chのみだが、各要素が向上して楽器の特質と魅力がさらに際立つし、打鍵が明瞭になるとともに音離れよいので、演奏のスピード感や強弱緩急の変化が映える。また、音色がより透明にこまやかになるとともにエネルギー感も増すので、演奏が手厚く充実して、表現がより幅広く多彩に感じられた。
(歌崎和彦)