Writings


「ベートーヴェンのソナタ、ショパンの練習曲」
(2004年秋フォルテピアノ演奏会についての文章より)


 ベートーヴェンのソナタ、ショパンの練習曲ともに、このコンサートにいらしてくださる方であれば、既に詳しく曲に付いての知識も持っていらっしゃる方が殆どと思うので、ここでは、私が考える、それぞれの作曲家を知るためにとても参考になる、資料を列挙してみたい。もしご覧になったことがないものがあれば、一度手にとって読んでみられることをお勧めしたいと思う。
 まず、どんな作曲家でも言えることであるが、本人が書いた手紙は重要である。後世のどんな伝記家が書いたものよりも面白く、その芸術家のありのままの姿、あるいは着飾った姿を見せてくれる。
 ベートーヴェンに付いては、伝記を含めて、記録には事欠かないが、こと演奏のあり方については、ツェルニーによるベートーヴェン鍵盤作品の重要なものに付いてのコメントが多数残っている(リプリント/ウニヴェルサル版)。これは、ソナタのみならず、変奏曲、小品、協奏曲、室内楽曲にいたるまで網羅されており、第一級の資料である。
 そして楽譜のエディションが数多くあり、かつてのリスト版、ビューロー版(19世紀には大変影響力があり、その後のトヴィー、シュナーベルなどは、痛烈な批判を浴びせているが、19世紀前半に生まれた優れた芸術家、それも、リスト、ワーグナーと交友し、ブラームスも実は高く評価していたディオニソス的なピアニストの考え方を知ることが出来るのは、現在ではかえって新鮮でもある)から始まり、ラモンド版(リストの弟子)、カセッラ版、シェンカー版(史上初めてとも言える原典版)、アラウ版、日本では児島版、園田版など古今東西のあらゆる学者、ピアニストが楽譜を校訂している。原典と言う意味では、最新のヘンレ版(よく新しくなる)や、ウィーン原典版が素晴らしいが、個人的には、ビューローの解釈、シェンカーとアラウの指使い、シュナーベルの小節数と、フェルマータの長さに関してのこだわり、ラモンドの快適な運指法と現代のピアノにも適した表情記号、トヴィーのいかにも前世紀のイギリス人という言い回しの解説も面白いと思う。トヴィーは校訂楽譜のみならず、32曲のソナタの分析の本を出しており、昔から有名であるが、実に構成を勉強するのに参考になる。少々読み難いが、かつてはカザルスやホルショフスキー、現在ではペライアなどもトヴィーの影響を受けている(らしい)。
 分析と言えば、現在では余りもてはやされていないが、シェンカーの(全ての)本は大変貴重なものだ。かつてあのフルトヴェングラーも薫陶を受け、現在でも、バレンボイム、ゼルキンなどの芸術家が影響を受けている、音楽の聴き方の美学を追求した一大芸術家であると思う。現在(この数十年)アメリカではシェンカーの流れを汲んだ分析が静かなブームである。
 また、ベートーヴェンとは直接関係がないように見えるが、シェーンベルクの作曲技法の本は、ベートーヴェンのソナタを鋭く分析したものとして、重要であろう。また、フィッシャーの詩的な小さな本、バドゥラ=スコダの本なども興味深い。
 ショパンに関しては、まず、エディションを選択することが大きな仕事となる。最近は、ようやく新ポーランド版(エキエル版)が充実し、スタンダードとなりつつあるが、他の原典版も存在価値がある。ヘンレ版はエキエル版とは違うマテリアルの読み方をしており、例えばショパンが弟子の楽譜に残したと言われているフィンガリングの選択などもずいぶん違う。また、バドゥラ=スコダが編纂したウィーン原典版は様々なヴァリアントが楽譜に印刷されているという点で、少々読み難くはあるが画期的な版と言える。もちろん過去の巨匠たちの校訂版、例えば、ミクリ版(ショパンの弟子)、コルトー版、フリードマン版(フリードマンのマズルカの録音はとても有名で、現代のポーランドのアプローチとはだいぶ違うが、ホロヴィッツやソフロニツキーのマズルカに影響を与えたことは間違いないであろう。我が師故ボレット先生も、マズルカを弾くなら、フリードマンを聴け、と言われた)、アゴスティ版、プーニョ版(プーニョの弾くショパンも録音に残っている)、ドビュッシー版、パデレフスキー版等々それぞれ示唆にとんだコメントやフィンガリングが記してある。(ドビュッシーは、自作の12のエチュードでは、指使いを自分で探す様にと書いたが、彼のショパンの楽譜の指使いはとても細かく、そしてムダがなく、知的で素晴らしいものだ。)
 ショパンの原典版を確立することの困難さに付いては、広く知られていることなので、あえてここには書かないが、いくつかの原典版の校訂を読めば、いかに大変かが分かるし、今後の音楽学者の仕事はまだまだ残されているとも言える。日本では、山崎孝の校訂楽譜が(エチュードのみなのが残念である)出ているが、画期的な版であり、練習曲の歴史的考察、作品の分析や、解釈の可能性に付いての微細なコメントがとても有益である。また、ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著の「弟子から見たショパン」もなくてはならない本である。
 ショパンの練習曲から直接的には外れるが、そのピアニズムを継承、発展、あるいは総括した存在に、ブラームス、ブゾーニ、ゴドフスキーの3人を特に上げておきたい。ブラームスの51の練習曲、そして、いくつかの編曲(その中には、ショパンの練習曲Op. 25-2を6度の練習曲にしたものも含まれている)はいかに、ブラームスがピアノの技術と言うものを捉えていたかを端的に示しており、それは、未完に終わったショパンの「ピアノ奏法」にも共通するものがあると思う。ブゾーニの練習曲(フランツペーター・ゲッペルスの編集による素晴らしいエクササイズが2冊、ブライトコップフ社から出ている)は、この巨匠のピアニズムに対する限りない理解と叡智とでもいうべきものを示している。またゴドフスキーの5冊、 53曲のショパン・エチュードの編曲は、後期ロマン派のピアニズムの極致とも言われているが、その中に含まれている、ピアニズムに関する洞察やフィンガリングはとても興味深いものである。