Writings


「古楽器での演奏」
(2004年秋フォルテピアノ演奏会についての文章より)


 もし18世紀から19世紀初頭に生きていた偉大な作曲家たちが、現在のピアノの音を聴いたらどう思うか.....余りに頻繁に問いかけられる、永遠に答えが出ない疑問であるが、私の個人的な予想(そんなことが可能ならば....)では、結構面白がるのではないかと思う。
 現代の最高水準の銘器とは、我々の時代の反映であり、我々の感覚により近い。大きなホール、19世紀後半から巨大化したオーケストラサウンドにも負けない、オールラウンドさを持っていてなお、昔の作曲家の理想としていた音を現代の楽器に翻訳することも多分十分に可能だと思う。
 然し乍ら、やはりそれでも、ベートーヴェン、ショパンが日常的に聴いていたサウンドは全く違った質の音だったのであり、よく耳にする、「現在のピアノは完成され尽くした、全てを可能にする楽器なので、フォルテピアノにできることは、現代の楽器は全て実現可能である」と言う考えは、たとえホロヴィッツのような素晴らしいピアニストが言ったとしても、私は、あえて少し首を傾げたくなるのである。
 今回のコンサートを企画した私の個人的な目的は、19世紀初頭の楽器の繊細さに触れ、(楽器が新品だった当時の音やアクションは、経年変化後の現在の状態とは違うことを認識した上でのことではあるが)可能なことと不可能なことを知り、またそれを現代に演奏する意味を自分なりに考えてみたい、そして、それを皆さんと一緒に味わうことが出来たら、と言うことにある。
 具体的に古楽器の特徴であるいくつかのポイントを上げると、音色以外にも、ハンマーの軽さ、鍵盤の浅さから来る、極端にデリケートになる演奏者の指先のコントロールが上げられる。ダイナミクスの大げさなコントラスト(今日の流行りである?)を拒否するところから来る、微妙なソノリティーの違いへの繊細さを感知すること。これらは、ピアノの技術者に、アクション調整の緻密さと多彩な音色を作りだす、高い整調、整音と調律の技術が求められることにも繋がる。 fpの減衰の感覚やペダルの効果の違い(これは明らかに現代のピアノよりも作曲家の意図を忠実に再現できる)、ペダルも2,3本だけではなく、現代では考えられない効果を持っている楽器もある。
 演奏のアプローチは、音質、音色、音量だけによって決まるものではない。それらは沢山の手段の中の1つなのであり、それ以外の要素、例えば、リズム、テンポ、フレージング、和声感、構成感等々のほうが、より重要とも言えるが、それら全ては、結局音そのものと結びつき、帰結して行く。曲の最も重要な精神は変わらないにしても、演奏する楽器の音、演奏する場所、それらの違いが、リズム、テンポやフレージングをその時々で微妙に変化させることになるのはその為であろう。
 古楽器による演奏を、古ぼけた、過渡期の、過去の遺物としてではなく、現代における、重要な選択肢の一つとして考えたいし、その為にも古楽器で状態の良い楽器、あるいは、精巧なレプリカがもっと増えて欲しいとも思う。