Writings
「プログラム構成について」
(2005春演奏曲目解説)
昨年秋の演奏会では、シュタイン、プレイエルを使い、それぞれに最もふさわしいと思われる、2人の作曲家を集中して取り上げたわけだが、今回のエラールピアノ2台によるコンサートのプログラミングで重視したのは、まずはヴァラエティーということであった。1850年代のエラールでぴったり来る作曲家といえば、真っ先にリストがあげられるであろうし、1920年代のエラールであれば、ドビュッシーやラヴェルなど20世紀初頭のフランスの作品、ということになるが、この演奏会では、リストとドビュッシーの作品を中心としながらも、さまざまな作曲家の作品を演奏してみたい。キーワードとしては、エラールの、当時最先端であったダブルエスケープメントのアクションを最大限に活かすことの出来る、ヴィルトゥオージティーに富んだ作品たちを選んでみた。
ハンス・フォン・ビューローの校訂によるベートーヴェン・ピアノソナタの楽譜中の記述に、「最高の楽器」として、プレイエル、エラール、ベヒシュタイン、スタインウェイの4つの名前が挙がっている。なぜベーゼンドルファー、ブリュートナーやグロトリアン・シュタインヴェヒ、イーバッハ、チッカーリングなどがないのか?とも思うが、何れにせよ19世紀後半エラールは、「優秀なピアノ」の代名詞だったわけである。だから、エラール=リストといった単純なものではなく、さまざまな作品を、多少のミスマッチも含めて味わっていただけたら、と思う。
モーツァルトのイ短調ソナタは、1778年にパリで作曲されており、それまでのクラヴィーアソナタとはまったく異なる雰囲気を持っている。第1楽章始めから、左右の手とも同じ音の連続(レペティション)が多用されるし、それは、楽章中続くモティーフとなっている。2、3楽章にも至る所に同じ音をリピートする音型が出てくる。
シューマンのトッカータは、非常に技巧的な作品であり、シューマンが手を壊したのはこういう曲を練習していたからか、と思うほどである。これも聴いていただければ分かると思うが、同じ音、あるいは音型を繰り返す、スピードのあるパッセージが沢山出てくる。
リストのソナタはリストのピアノ作品の中で、最も構想と構成のスケールが大きい、高貴な作品である。あらゆる角度から見た音楽的アイディアの豊かさ、ドラマの振幅の大きさ、まさに19世紀半ばに生まれたピアノ作品の傑作である。1852年から1853年にかけて作曲され、出版は1854年、音楽的内容とピアニスティックな内容が高次元で結びついている、まさにこの1852年製のエラールにふさわしい作品と思う。
ラフマニノフは、スタインウェイ、それも昔のニューヨークスタインウェイとの結びつきが強いイメージがあるが、あえて前奏曲を1曲取り上げてみたい。このような叙情性にどう楽器が答えてくれるか、楽しみである。ヨーロッパ、特にフランスでは、若い頃、ラフマニノフ自身、きっとエラールを弾いたこともあったであろう。
ドビュッシーの練習曲は、一曲一曲それぞれに「五本の指」「三度」「四度」などのタイトルがつけられており、大変ピアニスティック、かつポエティックな作品である。特にかつてのフランスの楽器の特徴として、ダンパーの切れ方、一言で言えば、切れなさ(!)、鍵盤を、或いはペダルを放しても、すぐに音が切れず、余韻が長く残るということがあるが、ドビュッシーも、現代の楽器ならば、ほとんどソステヌートペダルに頼らねばならないようなベース音を持続させるようなパッセージを多く書いている。それらが、エラールでどのように響くのか聴いていただきたいとも思う。ドビュッシーは、チャイコフスキーのスポンサーだった、フォン・メック夫人の子供たちの、夏の間の音楽教師を務めていたし、ムソルグスキーなどロシアの音楽から大きな影響を受けている。という訳で後半の最後は再びロシア音楽に戻りたい。
バラキレフのイスラメイは、かつて、ピアノの作品の中で最も難しいものの一つといわれ、晩年のリストが技巧を保持するために練習していたというエピソードが残っている。またラヴェルも、夜のガスパールの中の「スカルボ」を作曲するに当たって、ピアノ技術的にもイスラメイを凌駕する曲を書きたいと思ったらしい。連打音、それも重音、オクターヴなどの連打、ロシア風の、ピアノの7オクターヴ全域を生かした、スピードを最大限に駆使した技巧、そしてそれらと大きなコントラストを見せる、繊細でありながら雄大なリリシズムが感じられるであろう。