Writings
「第1回スヴャトスラフ・リヒテル国際ピアノコンクールを終えて」
(MUSICA NOVA 2005.10月号より)
このコンクールはリヒテルの生誕90年を記念して、去る6月12日から26日までモスクワで開催された。リヒテルと親しかった、いわゆる「リヒテルファミリー」、ナターリア・グットマン、エリソ・ヴィルサラーゼなどの人々が中心となって結成された、リヒテル財団が主催したものである。審査員は、上記のメンバー以外に、ディミトリー・バシュキーロフ、セキエラ・コスタ、オレグ・マイセンベルク、ダン・タイ・ソン、野島稔、アレクセイ・リュビモフ、ダリオ・デ・ローザ、ペーター・コッセ、ユーリー・テミルカーノフ、ヴラディミール・フェドセーエフの諸氏であった。今回が初めての開催であったが、モスクワ音楽界の関心も大きなものがあり、第2次予選からは、テレビカメラが入り、文化放送(Kulturaチャンネル) のテレビニュースにも毎日取り上げられ、7月になってからも再び幾度かロシア全土にテレビ放映されたと聞いている。
大ホールには連日熱心な聴衆が詰め掛け、思い思いに演奏を楽しみ、演奏に対しての議論を戦わせていたようだ。
もともとは「コンクール」という「競争」は嫌いである。特に演奏という、とても個人的な芸術形態と、競争というのは全く反駁する概念である。
しかしながら特に今回は審査員が、尊敬する素晴らしい音楽家ばかりで、もしも結果がだめでもとにかく聴いて頂きたい、又映画や小説で少しは親しんではいたものの、まだ一度も行ったことのないモスクワ、それも音楽院の大ホールでリサイタルを演奏してみたい、と思ったことは大きい。特に今回は、後述するように、最初から1時間のリサイタルプログラムを演奏できるということで、チャンスだと直感的に感じた。そして2年ほど前にリヒテルに関する本を続けて読んでいたこと(特にボリソフが書いた本は素晴らしい)、それが、家族の反対を押し切って(当初は・・・・しかし最終的には色々と助けてもらった)出場した理由である。
今年で39歳、海外生活から帰国して13年、京都に移り芸大で教え始めて9年になる今の私にとって、このコンクールを受けるということは、とても大きな体験であり、又賭けでもあった。
2002年フランスのオルレアンで開催された、20世紀国際ピアノ音楽コンクールでの入賞の際にも書いたことなのだが、まだ2歳の息子がいる家庭を持ち、学生にレッスンをしながら、試験を聴きながら、或いは、大学の運営にかかわる会議にも出ながら、限られた時間を使ってコンクールの準備をする、というのは正直なところ、かなり大変なことではある。時々学生コンクールの審査員などもしており、コンクールを受けるのではなく、日常は聴く側になっている、ということもある。
今回のコンクールは、特に参加資格の年齢が高いということもあり、多くの参加者がすでに1人のアーティストとしての個性を持っていたと思われるし、本選に残らなかったピアニストの中にも、レパートリーの面白さ、音楽的な教養、使用ピアノに左右されない音楽性やサウンドなどという点で、素晴らしい能力を持っていると思える人々も沢山参加していた。だから私としては、コンクールの結果については、ある程度以上のクォリティーで演奏が出来るという証明書、その時のアピアランスの判断、というくらいに考えている。
結局32人(20代後半から50代までの、そして、既に幾つもの国際コンクールで優勝、または入賞経験を持つピアニストが大部分であった)のうち、第2次に進んだのが13人、そして本選には6人のピアニストが残った。第1位は既に世界的に良く知られたエルダー・ネボルシン(ロシア)、第2位をヤーコフ・カッツネルソン(ロシア)と私が分け合う形となった。音楽的にも人間的にも彼ら2人の個性は非常に異なっているが、高い実力を持つ彼らと賞を分かち合うことが出来、とても嬉しく思う。興味深いのは、我々3人とも既に音楽院などで教えているということである。ネボルシンは、1992年にスペインのサンタンデルで優勝したこともあり、スペインのマドリードで教鞭をとっているし、カッツネルソンはモスクワ音楽院でアシスタントとして教えている。
3位までの入賞者には今後3年間、ロシア内外でコンサートが企画される、とあり、早速7月始めにはドイツの音楽祭での出演の話などもあったのだが、残念ながら、日本に戻らないといけないので来年以降にお願いした。我々の仕事は、限られたスター以外は、今年がだめなら来年に、と単純に行かないところがあり、一度断ると、仕事が再び来ないといわれているが、割り切ることにした。とはいえ他にも、来年以降は、ラトヴィアやオーストリアでの演奏の話が来ている。海外のことでもあり、本当に実現するかどうか、今後の展開は色々な条件に左右されるが、少しでもそのような話があるのは有難い。
このコンクールには様々な特徴がある。これらの特徴は国際コンクールとしてはとても珍しいもの(今迄も、一部似たような形で、モナコやカリフォルニアで行われたコンクールもある)であるが、その価値観、哲学に心から共鳴する。以下、
1)まず、年齢制限がないこと。普通の国際ピアノコンクールの参加資格は大体16/18歳から、28/30/32歳と相場が決まっている(その理由は色々考えられるが、ここでは詳しい考察に立ち入らないことにする)が、このコンクールは、23歳以上、プロフェッショナルなトレーニングを既に終えた者であれば上限がない。文学系、美術系のコンテストでは普通かもしれないが、音楽の世界では大変珍しく、又貴重な価値観ではないかと思われる。
2)ビデオ審査があらかじめあり、4月の時点で113人から34人に絞られた(実際に演奏したのは32人)。そしてすべての参加者の滞在費は主催者が負担してくれる。ほかの幾つかの国際コンクールでもそのような例があるが、少し良いホテルだと1泊5万円という物価のモスクワでは必要不可欠ともいえる。又そのような招待制のため、練習もモスクワ音楽院で1日5時間以上(実際には殆ど好きなだけ)させてもらえる。又これはモスクワ到着後知ったことだが、各ラウンドの演奏前に、「ピアノ選び」とは別に、1次の前に30分、2次の前に1時間、演奏する大ホールとそのピアノでのリハーサルが許される。
3)第1次予選から既にモスクワ音楽院の大ホールで、1時間のプログラムを演奏できる(最初からリサイタルを行っているようなものだ)。 第2次予選は1時間15分のリサイタル、本選は協奏曲2曲を連続して演奏する。
4)審査員はポーカーフェイスをしている必要がなく、演奏に拍手をしたり、ブラヴォーを叫んでも良い(もちろんその逆に、気に入らないならそのような顔をしても・・・・)。演奏会であるかのように率直に反応して良いことになっている。実際モスクワの熱心な聴衆の熱烈な拍手やブラヴォーに混じって、審査員席からも大きな拍手やブラヴォーを贈られるのは感銘深い体験であった。
5)演奏曲目の大枠は決められているものの、リサイタルを行う時の様に、自由にプログラムを組み立てることが出来る。2次では、自作も演奏することが出来る。
以上の様な点から、試す、競わせるというよりも、より良い条件でより良い演奏を期待している、コンクールという名前は付いているが、内容的には音楽祭の中の演奏会というような側面があった。
ピアノという楽器は「音を出す」のが簡単な反面、音楽的な成熟には、指揮者に近いくらい時間が必要だと感じている。指揮者や作曲家的な感覚が必要であると同時に、自らの肉体をいつも良い状態にしておかなくてはならないし、又ソロ活動には暗譜という作業も付きまとう。個人的にはリヒテルの考え方が素晴らしいと思うが、世間一般にはいまだに根強い「ピアニストなら暗譜は当たり前」という考え方がある。19世紀に一部のピアニストが始めたことが、「音楽院教育システム」と結びついて、今日では前提条件に近いものになってしまった。かつてのプーニョ、バルトーク、リヒテルに倣って、「2006年度の1年間は必ず楽譜を見て演奏しなければならない、しかし必ず新しいレパートリーにすること」という法律を全世界に配布したらどうだろう、とさえ思う。暗記して雑に演奏することと、楽譜を見て、しかしヴァラエティーに富んだプログラムを、素晴らしく演奏することと比べると後者の方に、はるかに価値があるように思われるのだが。
それはともかく、たった1人で演奏結果の全責任を負う宿命にあるピアニスト、単旋律楽器ではなく、ポリフォニックな楽器をある程度マスターするのは、とてつもない忍耐と時間がかかる。その様な意味で、以前から一般的な国際コンクールの年齢制限には疑問を抱いてきたし、今回、リヒテルという象徴的なピアニスト、音楽家の枠を超えた芸術家の名前を借りた形で、新しい価値観を持ったコンクールが出来たのは大変喜ばしいことと思っている。
恐らくこれで、「コンクール」というものから「足を洗う(?)」つもりだが、今後も適度な量のコンサートを、出来るだけの質で行っていきたい。これからの 40歳代の10年間色々なプロジェクトを考えているが、目下大学での活動とどのようにバランスをとっていくかが、難しい問題でもあり、又チャレンジだと思っている。これからも日本をベースにしつつ、様々な勉強、活動を試みながら、時々は海外で真価を問うような形にしたいと思っている。