Writings


「第1回スヴャトスラフ・リヒテル国際コンクールについて」
(京都芸大Web.ページ「沓音[くつおと]」エッセイより)


 このコンクールはリヒテル生誕90周年を記念して、去る2005年6月12日から26日まで行われた。今回が初めての開催であり、主催者側も色々と試行錯誤していたようだが、モスクワ音楽界の関心も大きなものがあり、2次予選からはずっとテレビも入り、文化放送(Kultura)チャンネルのテレビニュースにも毎日のように取り上げられ、7月になってからも、何度かロシア全土にテレビ放映されたと聞いている。ほかの多くの国際コンクールと異なり、大学を既に卒業した、23歳以上の、既にプロの活動をしているピアニストのみが参加を許されるコンクールで、世界中から113人の応募があり、ビデオ審査に残った 32名が演奏し、2週間に渡って第1次予選、第2次予選(13名)、本選(6名)が行われた。
 審査員は、リヒテルの側近であったナターリヤ・グットマン、エリソ・ヴィルサラーゼ、ディミトリー・バシュキロフ、オレグ・マイセンベルク、アレクセイ・リュビモフ、ダン・タイ・ソン、野島稔、ダリオ・デ・ローザ、ペーター・コッセ、セキエラ・コスタ、ユーリー・テミルカーノフ、ヴラディミール・フェドセーエフの諸氏であった。

 結局第1位は、既に世界的に知られたエルダー・ネボルシン(ロシア)、第2位をヤーコフ・カッツネルソン(ロシア)と私が分け合うことになった。音楽的にも人間的にも彼らの個性は大変異なっているが、高い実力を持つ彼らと賞を分かち合うことが出来、大変嬉しく思う。興味深いのは、我々は3人とも既に音楽院などで教えているということである。ネボルシンはウズベキスタンのタシケントの出身だが、1992年にスペインのサンタンデル・コンクールで優勝したこともあり、現在マドリッドの王立音楽院で室内楽を教えている。世界中で130以上のオーケストラと共演、アメリカの殆どのメジャー・オーケストラにも出演しているという、素晴らしい実力者である。カッツネルソンもモスクワ音楽院でアシスタントとして教えている。
 3位までの入賞者には今後3年間、ロシア国内外でのコンサートが企画される、とあり、既に7月始めには、ドイツの音楽祭出演の話もあったのだが、残念ながら、大学に戻る必要もあり、来年以降に、とお願いした。我々の仕事は、余程のスター以外は今年だめなら来年に、と単純に行かないところがあり、一度断ると仕事が再び来ないといわれているが、それならそれでしょうがないということで、割り切った。やはり、こういう場合はヨーロッパにいないと仕事の連携がとれず、小回りが利かない。又一つの演奏会だけのために3日ほど飛行機で地球を半周してまだ戻ってくる、というのも中々酷なものがある。他にも、来年以降はラトヴィアやオーストリアでの演奏の話が来ている。海外のことでもあり、本当に実現するかどうかは、色々な条件に左右されるが、少しでもそのような話があるのは有難い。

 そもそも39歳にもなって、このコンクールを受けてみようと思い立ったのは、自分自身のピアニストとしてのキャリアの為はもちろんだが、モスクワの、それも音楽院の大ホールでリサイタルが出来るということ、審査員のメンバーが素晴らしく、結果がよくなくても、ぜひ一度聴いていただきたいと思ったこと、などがある。また以前から、40歳までは何でもチャレンジしたいと思っていたこと、学生を教えるに当たって「言葉で語る」だけでなく、「実際の行動」を、ある種の手本にしてもらいたいと思ったこと、などがある。 そして、大きな事としては、このコンクールの哲学、考え方に共鳴したからである。
 1)年齢制限がないこと。
 2)事前にビデオ審査がある分、参加者が招待される関係で、宿泊費が主催者の負担になるということ。
 3)練習をモスクワ音楽院で基本的に好きなだけさせてもらえること。
 4)に各ラウンドの演奏前日に、大ホールで、そして演奏するピアノを使い、30分/1時間のリハーサル時間がもらえること。
 5)第1次予選から、1時間のリサイタルプログラムが演奏できること(ちなみに第2次予選は1時間15分。本選は協奏曲を立て続けに2曲演奏する)。
 6)審査員は演奏に対してポーカーフェイスをしていなくとも良く、演奏が終わったら拍手をしても良いし、ブラヴォーを叫んでも良い。
 7)演奏曲目の大枠は決められているが、かなり自由にプログラムを構成することが出来、自作も演奏できる・・・・という様な特徴がある。

 美術系や文学系の人々から見るとびっくりすることと思うが、国際コンクールの95%は16/18/歳以上28/30/32歳以下が出場資格となっていることが多い。歌の場合35歳までなどということもあるようだが、一般的には10代から20代で世間に認知されなければ、その後の活動はほぼ不可能といった有様である。特にピアノやヴァイオリンの世界では低年齢化が激しい。それを分かっているから、他のピアニスト仲間と同じく、私も10代の終わりから、20代にかけて、国際コンクールを幾つか受け、ある時は入賞し、また賞を逃したこともある。それらの入賞経験がなかったなら、その後の演奏活動もなかっただろうし、現に、この大学に呼ばれることもなかったと思う。
 もちろん肉体的な、テクニカルな要素が多いのが演奏というもので、10代後半の時点で基本ができていなければ、その後努力しても限度はあるということも一つの考えであろうが、現代では、ある程度以上の能力を持った人材が多いので、既に20代までにさまざまな国際コンクールに優勝/入賞したが、演奏の機会には恵まれないということも多い。絵画、或いは文学での様に、年齢にとらわれない、実力があれば賞を取れるというコンテスト、コンクールがもっとあっても良いのではないかと常々思ってきた。
 もっとも本当は、コンクールなどという「競争」は嫌いである。芸術、特にソロの演奏というとてつもなく個人的な事柄と、「競い合うこと」というのは、全く本来相容れない概念である。事実、今回のコンクールでは、参加資格の年齢が高いということもあり、多くの参加者が、既に自己のスタイルをある程度確立していた。それぞれが1人のアーティストとしての個性を持っていたように思われるし、レパートリーの興味深さ、音楽的な教養などという点で素晴らしい、既にコンサートやレコーディングのキャリアを長年行ってきている人々も多数参加していた。だからこのコンクールの結果はとても嬉しいのだが、自分の演奏に関しては、冷静に判断したいと思っている。音楽的に見れば、70%位、比較的悪くなかった演奏もあったが、まだまだ不十分な演奏もあったし、説得力に欠ける演奏もあった。
 コンクールの成績は、ある程度以上の質で演奏できるという証明、その時のアピアランスの判断以上のものではないとも思っている。
 ピアニストの活動の特異性、これはピアニストであればあまりにも当たり前のことながら、一部の音楽活動や、他の芸術分野とは根本的に異なる部分があるので、少しでも理解を頂きたいと思い、この場を借りて、書いてみたい。演奏家の中でも、ピアニスト、特にソロ・ピアニストは、殆どいつも暗記で演奏する上、演奏曲目も膨大なものがある。また単旋律楽器ではなく、多旋律楽器ということもあり、「とりあえず音を出すこと」は簡単ながら、本当の意味で楽器をある程度マスターするには、とてつもない忍耐と時間がかかる。ピアノの「上手さ」というのはサウンドだけでない要素が複雑に絡み合っているのだ。まるで、指揮者、作曲家、そしてオーケストラとすべての役割を1人で行わなければならないのである。その上、他の楽器とのアンサンブル、伴奏などにも「出動」しなければならないが、その際でもいつも読まなければならない楽譜の音符の数は一番多い(指揮者、オルガニストを除いては・・・・)。また舞台という一回限りの場ですべてを行わなければならないため、今日比較的良い演奏が出来ても、少しでも練習しなくなると、数日後には良い演奏が出来なくなる、とても厳しいものだ。肉体をいつも良い状態にキープしなければならない、という点では、スポーツ選手、バレーダンサーなどと同じなのである。
 (その点においては、美術一般、音楽の中でも作曲は、自分の作品を、長時間吟味することが出来るので、準備の意味合いが全く違ってくる。スタジオのレコーディングはややそれに近い。但し、レコーディングも時間が---殆どの場合とても短い---あらかじめ決められており、その時間内でベストを尽くさねばならない。)
 我々にとって練習(研究)というのは死活問題であり、それがなくなったら、ピアニストとしては終わりを意味する。

 現在日本全国でさまざまな大学改革が行われており、設備やサービス的な意味での充実を図る方向へ進んでいる。そうしないと評価もされず、助成金も出なくなるといった状態である。その様な方向性に対して、個人的には、幾許かの危惧を抱いている。旧態依然の形であってよいとは言わないが、芸術大学の場合は、学生や先生それぞれが、それぞれのやり方で、高い「芸術」を志向すること、それ以外を二次的なものとすることは先ず何よりも大事なのではないだろうか。最も自由な芸術活動(全く生産性という尺度、或いは外から見た評価では測れない分野)、日頃からの練習、研究を優先させることの出来る気風を失ってはならないと思う。又ピアノ的な立場から言えば、個人主義的色彩がとても強い楽器であるし、大学の日常的なレヴェルにおける、個人の考え方、感性、意思、行動といったものが大切と思われる。それを可能にする環境が望ましい。
 長い歴史の中、様々な優れた芸術家を惹きつけてやまない芸術の街、京都の大学らしい環境が今後とも続くことも願ってやまない。