Writings


「大人の演奏家としての自分を問い直したい」
(ピアノの本2005年11月号)


この六月モスクワで行われた第一回リヒテル国際ピアノコンクールで第二位入賞を果たすなど、教育と演奏活動を両立させながら、成熟したアーティストとして国際コンクールにも挑戦を続ける実力派ピアニスト上野真さん。昨年デビューCDが発売され、フォルテピアノを使った演奏会などのユニークな試みでも知られています。


三十代後半で国際コンクールに挑戦!

■第一回リヒテル国際ピアノコンクールでの第二位入賞、おめでとうございます。まずはこのコンクールに出場された経緯からお聞かせいただけますか?

 京都市立芸術大学で教鞭を執るようになって九年目になります。長年滞在したヨーロッパから最も日本的な都市へと生活の拠点を移したわけですが、暮らしのテンポという点から見ると、京都は今の自分に比較的合っている気がしますね。そうした中で、教育活動と演奏活動と共にどちらにも偏ることのないよう、自分なりに力を尽くしてきたつもりですが、教師として学生たちにいろいろと言ってきたことを、自分の生き方で見せたかったという理由が一つあります。三十代後半というある程度成熟したアーティストとしての自分を問い直すと共に、演奏家としてのさらなる認知を高めていくためにも、できるうちに(私自身は四十歳を一つの区切りと考えていますので、これが最後のチャンスというわけです)チャレンジをしてみたいと考えたのが、大きな動機でした。
 ピアニストというのは、確かに年少の頃にある程度才能が決まってしまう側面がありますが、一面、演奏家として成熟するまでには非常に時間がかかる芸術形態だと思います。ですから、一部の国際的なコンクールでは、年齢制限もなくてよいのではないかと、私は以前から考えていました。その意味で、故スヴャトスラフ・リヒテル氏の名前を冠して創設されたこのコンクールの出場資格が“下限が二十三歳。それ以上については年齢制限なし”ということを知り、“我が意を得たり”という気がしました。それに、このコンクールは演奏曲目についても極めて自由度が高いんです。例えば第一次予選では、いくつかの条件はあるものの一時間という枠内で、小リサイタルに匹敵するプログラムを組んで演奏することができますし、第二次では自作を含めた、更に長いプログラムを演奏することも可能です。さらに本選ではコンチェルトを二曲演奏するなど、限りなくコンサートに近い形で審査が行われるんです。

■その結果、エルダー・ネボルシン氏が第一位、上野さんが見事第二位入賞という成績を収められました。

 若い頃の国際コンクール入賞とは全く違う意味で感激しました。普段に師事している先生がいて、独身で自分のことだけ考えていればいい(?)という中で、ピアノに専念して入賞したというのと違い、家庭を持ち職場もあり、その中で教育と演奏活動を両立させながら準備をしてきた結果ですから。二〇〇二年に第五回オルレアン国際二〇世紀ピアノ音楽コンクールに入賞したときもそうでしたが、大いに励まされる思いがしました。


デビューCDにリストを選んだのは…?

■上野さんは昨年、リスト・超絶技巧練習曲全曲とトランスクリプションのCDをリリースされました。最初のアルバムにリストを選んだ理由をお聞かせいただけますか?

 リストはピアノが最も大きく進歩した時代にあって、ピアノという楽器を知り尽くしていた作曲家だと思います。初期にはウィーン式メカニックのアクションを持つ五オクターブ程度しかないフォルテピアノを使っていた筈なのですが、晩年にはほぼ現代のピアノに匹敵するメカニズムを持つ八十八鍵のピアノで作曲し、演奏活動を行っていました。その約七十五年の生涯で、これだけ大きな楽器の変化に対応しつつ、偉大な存在であり続けた作曲家はほかにありません。それだけに彼の作品を弾きこなすのは本当に難しいのですが、今後私自身が年齢を重ねていくほど、若い頃とはまた違うやり方で技術を磨いていく必要があると感じています。そのための基礎をこの曲に取り組むことでまず作っておきたかった、ということが一つあります。  それと、これはもしかすると五十代になってからの課題になってしまうかもしれませんが、将来ベートーヴェンの本当に良い演奏をしてみたいとかねがね思っているのです。ベートーヴェンを弾くために精神性やイマジネーションが大切なのはもちろんですが、同時にテクニック─ピュアなピアニズムというものも大きなポイントになります。だから現代のピアノでベートーヴェンを弾くに当たって、リストを勉強するのは大きな意味があると思うのです。その後に続くフランスの印象派や、バルトークといった作品を勉強する上でも、リストは外すことのできない存在です。作品によっては“深さを感じさせない”と言われることもあるリストですが、やはりピュアなピアニズムという意味では本当に素晴らしいものがあります。


フォルテピアノを用いたユニークな演奏会

■上野さんはフォルテピアノを用いた演奏会でも知られていますね。

 昨年、堺市在住のフォルテピアノ修復家として知られる山本宣夫さんと出会い、彼が修復した一八二〇年ウィーン製のマテーウス・シュタインと一八四六年パリ製のプレイエルを使って、そのピアノが使われた当時の曲を演奏するという趣旨でコンサートを開いたのが発端です。今とは鍵盤の寸法も深さも違い、ダンパーの音の止め方も、ピアノの素材そのものも異なるピアノで作曲され、演奏されていた十九世紀の作品を、そのピアノを知って弾くのと知らずに弾くのとでは全く違ってくるのではないかと考えました。当時のピアノを弾くことは、作品の解釈を追求していく上でも勉強になっています。  私は以前、“作曲家こそがその作品の最高の解釈者である”と考えていたときもありますが、最近は“作曲家の手を離れた時点で作品は自由な存在となり、それをどう表現するかは演奏家の手に委ねられている”と思うようになりました。ですから、演奏家によって、また時代とともに、様々な考え方や価値観があってよいですし、1つの作品のことは、究極的にはその作品自体からしか知りえないのですが、だからこそ作品のバックグラウンドを知ることもとても大切だと思うんです。昔の楽器に触れるのもその1つです。

■さまざまなピアノを弾いてこられた上野さんですが、ヤマハピアノについてはどうお感じになっておられますか?

 自分が日本人だということもあり、今までヤマハピアノを随分弾かせていただきました。自宅には三十年も前のヤマハのアップライトピアノもあって、とても愛用しているんですよ。ヤマハは温度や湿度の変化に非常に強く、どんな条件で使われてもコンディションが変わらないタフさがあります。オルレアン・コンクールのときもヤマハを弾きましたが、場所のせいか空気のせいか、ヨーロッパで弾くヤマハの音は日本で弾くのとはまた違った美しさがあり、とても印象に残っています。


新しいレパートリーにも挑戦したい

■さて、これからの上野さんの演奏会ではどんなレパートリーを聴かせていただけるのでしょうか?

 リヒテル・コンクールの成果を、今まで一度も聴いていただいていない聴衆の方にも聴いていただくという意味もあり、今後数年間は比較的「保守的なプログラム」を演奏していきたいと思います。古典派の作品解釈は最も難しく、それこそ人生最後の日まで、追求は続くでしょう。殆どは人を驚かせるようなものではなく、自然な演奏でなければいけないのですが、それもただ流れるようなだけでは駄目で、そこに豊かなアイディアがなくてはいけない。そのバランスが大変難しいと感じています。また、十九世紀から二十世紀前半にかけての作品は、やはりピアノにとって最も自然に響くレパートリーではないかと思います。ショパン、リスト、チャイコフスキー、スクリャービン、ラフマニノフ、それに最近の演奏会ではあまり弾く機会のなかったウェーバー、メンデルスゾーン、シューマンやブラームスのソロ作品にも挑戦していきたいですね。最新のコンサートや放送などの予定は、親友が作ってくれている、私のホームページで確認していただけると幸いです。また、来年は新しいCD録音も計画しています。

■お忙しい上野さんですが、ご趣味の方はいかがですか?

 子どもの頃から“男の子的趣味”というのか、車やカメラなどに興味がありました。今では、それらよりももっと大事なことがありますし、読書などの時間の方が多くなっていますが、関心は持ち続けています。どちらかというとイタリアとかフランスの車や、デジカメではない昔のカメラが好きだったりするのですが、新しいものより、移り変わる時代の中で輝きを失わないものに愛着を覚えるのは、古いピアノに惹かれるのと通じるところがあるのかもしれませんね。