Writings
2006年春演奏曲目解説
(プログラムノート)
モーツァルト ソナタ ハ長調 K.V. 545
モーツァルトとシューベルトは、昔からほとんどの演奏家が、最も演奏が難しいものと考えている。音は単純なのだが・・・・。例えば名ピアニスト、クラウディオ・アラウが、「最も解釈が難しい作曲家はモーツァルトとシューベルト」と語った。モーツァルトについては、フリードリッヒ・グルダも、「ベートーヴェンを弾きつくした後の課題である」とまで語ったほどである。一般の愛好者から見ると信じられないことかもしれない。
このK.V.545のソナタは、モーツァルト・ポピュラー作品ベスト5に入る、またシンプルな外観を持った曲だと思うが、実は、この作品を書いた前後(1788年6月に書かれている)には、その生涯の中でも最も複雑な、意欲的な、自意識に満ちた作品を矢継ぎ早に世に問うていたのである。たとえば、オペラ「ドン・ジョバンニ」、ピアノ協奏曲ハ短調K.V.491、K.V.526のヴァイオリン・ソナタ、K.V.533のピアノ・ソナタ、K.V.540のアダージォなどがすぐに思い浮かぶ。それらの作品の意識的な造形は、J.S.バッハやC.P.E.バッハ、ハイドンなどに影響を受けたということもあろうが、既にアメリカが独立宣言を出し、フランスでは革命が起こる、と言う激動の時代、比較的平穏であったウィーンにおいても「個人、自由」と言う概念が、フリーメイソンの活動などを通してモーツァルトに影響を与えていなかったわけは無いと思うし、時代に対峙した作曲家の強烈な表現の1つと言うことも出来るであろう。
表面上それらとは大きな違いを見せる「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」K.V.525とこの作品は、簡素であることという意味では、より近い関係にあると思われる。しかしよく見てみると、テーマとモティーフの選び方、またそれらのアイディアをどのように使って展開させているか、転調をどの時点で行っているか、全体のテンポ、リズムと小節数のプロポーションなど、まさに巨匠の芸以外の何ものでもない。第1楽章のテーマは余りにも有名な三和音の構成音を使っているだけのものだが、それが第2主題では、反行型で現れたり、第2、第3楽章でも使われている。使用するマテリアルを最小のものだけにとどめ、それを細やかに変容させながら、全体を凝縮した、しかしシンプルで「完璧な」構成で包んでいる。
モーツァルトのソナタはどう弾かれねばならないのか?古楽器奏法も親しまれている現代においては、1つの答えを見つけるのは非常に困難である。しかし一般的なピアノ演奏のスタイルという点で参考になるのは、バルトークの編纂したブダペスト版のソナタ集かもしれない。難易度の順に並べられ、テンポ、ダイナミクス、アーティキュレーション、伴奏形の音の保持等、あらゆる専門学生が必要とする情報も多く、素晴らしい参考資料である。ブレンデル、バレンボイムなど現代の名ピアニストを多く育てた名教師エドウィン・フィッシャーの版は、ユニークな指使いが面白い。昔の録音の中で興味深いと思われるのは、シュナーベルやフィッシャーがピアノ独奏を務めた協奏曲、フリッツ・ブッシュ指揮によるオペラなどであろうか。またホルショフスキーの解釈は本当に玄人好みだと思うが、非常な高みに達していると思う。精度の為の精度を感じさせない、一つ一つのフレーズが息づいていること、音型のたおやかさ、リズムの丸み、それらすべてが計算されていながら、その場で作られたかのような印象を与える。もはやミスなどは何も関係がない!
ベートーヴェン ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27-2
ベートーヴェンの「月光ソナタ」も余りにも有名な作品である。ベートーヴェンのピアノソナタはその一つ一つが固有の特徴を持つ。言い換えれば、その作品の歴史は、ベートーヴェンが完璧なソナタ形式をマスターし、そこからソナタという概念を拡大し、独自のものに編みだしていく過程でもあった。この作品を作曲するまでに、作品1のピアノ・トリオ、作品2、7、10などのピアノソナタ、作品18のカルテットなど、既に完成度の高いソナタ形式の作品をいくつも完成させ、同時期の作品26では第1楽章に変奏曲を取り入れ、また作品27-1においては、全体を単一楽章という構成をとっている。この作品27-2もそうだが「幻想」というサブタイトルが付いている。しかしこの2曲は名前は同じでも性格、構成、アイディアなど、すべてにおいて違いが際立っている。この「月光」もモーツァルトのK.V.545と同じように、一度聴いた者に深い印象とメロディーの記憶を植えつけるが、最初から、複数の楽章に現れるテーマの共通性へ意識が働くとは限らない。しかしよく見てみると、例えば第1楽章と第3楽章には同じモティーフが使われていることに気付くのである。同じ素材を使ってこれほどまでにコントラストのある、性格付けが出来ることは驚異的でもある。その間の第2楽章はリストが「une fleur entre deux abimes」という有名な言葉で語ったと言われる1ページのシンプルなものである。(「底知れぬ苦悩の谷間の可憐な花」とでもすると、ちょっとくせのある翻訳過ぎるであろうか??)メヌエットでもスケルツォでもない独特のキャラクターと、トリオを持っている。
ベートーヴェンについては、手紙、伝記を含めて、史料には事欠かないが、こと演奏法については、弟子のツェルニーによるコメントが第一級の資料(リプリント/ウニヴェルサル版)である。ベートーヴェンの鍵盤作品の重要なもの(ソナタだけに留まらず協奏曲や室内楽曲まで含まれる!)についてのコメントが多数残っている。
ベートーヴェンのピアノ楽譜のエディションは、その死後それほど時を経ていない19世紀後半以降、古今東西の音楽家、ピアニスト、学者の手により数多く編纂・校訂・出版された。古くは、リスト版、ビューロー版があり、後者は、リスト、ワーグナーと交友し、ブラームスも実は高く評価していたピアニスト、ビューローによるもので、後世の音楽家からの批判もあるとはいえ、19世紀を通じて影響力のあった大芸術家ビューローの考え方を知ることもでき、現在ではかえって新鮮でもある。その他にもラモンド版(リストの弟子)、シェンカー版(史上初めてとも言える原典版)、アラウ版など、日本では児島版、園田版などがある。
原典と言う意味では、最新のヘンレ版や、ウィーン原典版が素晴らしいが、個人的には、ビューローの解釈、シェンカーとアラウの指使い、小節数とフェルマータの長さに関してのシュナーベルのこだわり、ラモンドの快適な運指法と現代のピアノにも適した表情記号なども面白く、研究する価値があると思う。
トヴィーによる全ソナタ32曲の分析本は、後世の音楽家たちも影響を受けており、楽曲の構成の勉強のためとても参考になる。分析と言えば、シェンカーの本は大変貴重なものだ。音楽の「聴き方」の美学を追求した一大芸術家シェンカーは、かつてフルトヴェングラーも薫陶を受け、現在でも、バレンボイム、ゼルキンなどの芸術家が影響を受けている。また、シェーンベルクの作曲技法の本は、ベートーヴェンのソナタを鋭く分析したものとして重要であろう。
シューベルト 即興曲 変ト長調 作品90-3
シューベルトはその31歳(!)と言う短い生涯の中、詩の世界と音楽の世界を熱に浮かされたように、駆け抜けていった、夭折の天才である。その作品の数の膨大なこと、若い頃の作品から晩年までの作品すべてに、シューベルトにしかありえない個性が宿っていることなど、シューマンが最も影響を受けた作曲家の一人と言うのも頷ける話である。生前からかなり有名で、そこそこ歌曲などが出版されていたし、収入はかなりあったようだが、友人には恵まれていたゆえ(?)遊ぶことも好きで、夜は夜でサロンでの演奏活動、その合間の絶え間ない作曲活動などを考えると、その短い生涯もやむをえなかったのか、と言う気もしてくる。その作品をこなす力は、19世紀後半のヴォルフと比較されることも多いが、殆どの昔の大作曲家はそのように生きていたし、寝る暇も無いくらいであったから、短命なことが多かったのであろう。その中で、バッハ、リストなどの生命力は巨大である! 話は飛ぶが、ショパンの父親が、パリに出たショパンに対し、「きちんとした節度のある生活をするように、夜は早く寝るように、入ってきたお金をすべて使ってしまわないで貯めるように」、などなど手紙に何度も書いているのは、芸術家・音楽家にありがちな刹那主義に陥ることを戒めるためであった。見事ショパンは、父親の言葉を聞かずじまいで、39歳にして、廃人同様になり亡くなってしまう訳だが・・・・。しかし芸術至上主義、それ以外を2の次にすることと言うのは、とてもロマンティックな概念でもあり、様々な文人、音楽の世界ではモーツァルト、シューベルト、ショパン、シューマンなどの生涯のイメージと結びついている。(19世紀の最高の作曲家でも、ブラームス、ブルックナー、フランク、フォーレなどの生涯のあり方は全く異なっているのが面白い。)
シューベルトの即興曲と言うジャンルは、彼の歌曲をそのままピアノに移したような作品である。作品90-1、142-3/4などは、形式もやや複雑なものになっているが、他は殆どがABA形式とでもいったようなものである。変ト長調2分の4拍子のアンダンテという珍しい調性・拍子で書かれ、瑞々しいアルペッジォの背景の中でメロディーが低音域と高音域で歌われる。シューベルト独特の「終わりの無い天国的なメロディー」、「一度聴いたら忘れることの出来ない歌」が奏される。
シューベルトは、モーツァルト・ベートーヴェンの芸術的遺産を引き継いだと言ってもよい存在ではあるが、その「歌謡性」(ミニチュア作品でこそ生きる感受性、シンプルな形式にならざるを得ない主題のアイディア)をどのようにして、大きな構成に、例えばソナタ形式に結実させるかが大きな課題であったに違いない。丁度1ページで終わる、ひらめきの多い詩を書く詩人が、長大な小説や戯曲を書くときに苦労するように・・・。
シューベルトのこの作品のピアノ楽譜は、ギーゼキングの編纂によるヘンレ版とバドゥラ・スコダの指使い、解説が有益なウィーン原典版が良く使われる。今日シューベルトが広く演奏されるようになったのは、特にシュナーベルが、演奏会で作品を取り上げるようになったことが大きいといわれている。必ずしも「シューベルト信奉者たち」ではないが、リヒテル、ルービンシュタイン(変ロ長調ソナタの気品の高さ!)、ルドルフ・ゼルキン、カーゾンなどの演奏が、私にとっては素晴らしい。シュヴァルツコップとフィッシャーによるリートの録音は、「ピアノの音の美しさ」というものについて、幾多ものことを教えてくれた。
ブラームス シューマンの主題による変奏曲 作品9
素晴らしい完成度を持ったブラームスによる「シューマンの主題による変奏曲」は1854年6月から8月にかけて書かれた。6月の時点ではまだ第10, 11変奏は書かれていなかったが、既にクラーラに送っている。この2つの変奏が8月に加わったことで作品の素晴らしさが特に強くなっていることに注目したい。10代で既に類稀なるピアノの技術と作曲技法を持っていたブラームスは、まだ20代前半と言う若さではあったが、既に3曲のピアノソナタ、リートやピアノトリオを作曲し、その全てが、他に動かしがたいほどの完璧さを持っていた。ベートーヴェンの死後、ディアベッリ変奏曲と言う大きな宇宙が壁として立ちはだかり、変奏曲というジャンルに手を染めるにあたって、ブラームスはきっと全く違う方向性を模索したのではないかと思われる。シューマンの色とりどりの作品(Op.99)の中のアルバムブレッター(アルバムリーフ)第1番がテーマでありそのまま使われている(クラーラも1853年に同じテーマを使い変奏曲作品20を作っていて、これらの作品は1854年11月にライプツィヒのブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から同時に出版された)が、第9ヴァリエーションでは、同じ作品集の中の、第2番からの引用がある。引用と言えば、クラーラ・シューマンの作品3からの引用もあり(因みにこのテーマは、若き日のシューマンの作品、「クラーラ・ヴィークの主題による即興曲作品5」でも使われているのである!)、シューマン夫妻へのオマージュとでも言った作品になっている。リズム的な意味でも、シューマンの作品、例えば「交響的練習曲」からの模倣も見られるし、まるでシューマン、クラーラ、ブラームスの3人が混ざり合わさっているかのようである。
前年の1853年10月1日にシューマン夫妻の元をブラームスが初めて訪ねる。実はブラームスはそれ以前にシューマン夫妻に会うことのできるチャンスを、その内向的性格のために自分からみすみす逃している。しかし自分を理解してくれる人はこの人しかいない、とでもいった気持ちでもう一度勇気を奮って夫妻に会いに行ったのであった。そしてシューマンはこの20歳の青年に感銘を受け、出版社の紹介をしただけでなく、久しぶりに批評家としてペンを執り、ブラームスの天才を絶賛する文を書き、ドイツ全土にブラームスの名前が知られることになった。(余りに誉められて、若きブラームスはそれから何年もの間、好奇の眼でも見られ、かなりプレッシャーを受けたらしい。)その直後、翌年1854年と言えば、2月にシューマンがライン川投身自殺を図った後、ずっと精神病院に収容されており、クラーラは面会できない状態。しかしブラームスはシューマンに何度か会っている。19世紀前半のヨーロッパの音楽界に広く知られたおしどり夫婦、自分を様々な意味で助けてくれた夫妻、しかしその結婚生活の結末の悲惨さ、シューマンの切り裂かれた内面をブラームスは眼のあたりにしたことが、この非常な凝縮感と、詩情を兼ね備えた作品の誕生に結びついているのであろう。ブラームスの作曲した変奏曲の中で、最もロマンティックで、古典的均整からはずれているが、カノン(第8, 10, 14, 15変奏で出てくる)や、鏡像対位法(メロディーの進行---音の高低の線---を、まるで鏡を見るかのように、対象形にする技術)などを駆使している。第10, 14, 15変奏は技術の粋を集めたかのような素晴らしいものである。調性や和声の選び方、様々な拍子の使い方なども含め、幻想的な変奏技術と言えるであろう。この作品が(最近は変わってきたとはいえ)、長い間演奏会で取り上げられることが少なかったのは、余りにも内省的な性格と、終わり方の故かもしれない。この作品はローベルト・シューマンの亡くなる2年前に、クラーラを慰める為に書かれたが、既に存在しない人間に対する感謝、祈り、慈しみに満ちたもの(特に第14から第16変奏)といえないだろうか。かなり「個人的側面を持った」作品だが、傑作のひとつといえるのではないかと思う。
シューマン 謝肉祭 作品9
「謝肉祭」を作曲したとき、シューマンもまだ20代前半であったが、ブラームスの変奏曲と比べると、もっと若々しいポジティヴさ、閃きの歓びなどに満ちた作品と言える。登場人物が豊富な、一大絵巻物とでもいった観を呈している。父親が書店を経営していたこともあり、ジャン・パウル、E.T.A.ホフマンといった小説家の作品に幼い頃から親しんでいたシューマンは、ダヴィッド同盟と言う架空の結社を用いて、芸術至上主義を掲げたり、自身の中の、外面的で情熱的な要素と、内面的で瞑想的という相反する性格を、フロレスタンとオイセビウスという架空の人物を使って表現しようとしたり、飛翔する幻想といったヴィジョンに満ちた作品を多数創作した。
謝肉祭の前に、「蝶々作品2」、「ダヴィッド同盟舞曲集作品6」と言ったCharacterPiecesの集合とでもいうようなものを既に書いていたが、全体の組織の有機的流れの強固さ(言い換えると、約30分を一気に聞かせる構成感)の点で、それまで以上に素晴らしいものとなっている。ところで、このCharacter Piecesと言うジャンルにおいて、もしシューマンが様々な作品を書かなかったら、その後のチャイコフスキー、グリーク、ドヴォルジャークなどの作曲家たちの作品も生まれなかったかもしれない。
謝肉祭は様々な人物が次々に登場する点がとても魅力的である。その中には、前述のフロレスタン(5曲目)とオイセビウス(6曲目)も出てくるし、中世のイタリア劇( commedia dell’arte)に出てくる、アルルカン、パンタロンとコロンビーヌ、そして実在の音楽家、ショパンやパガニーニも登場する。愛していた2人の女性、クラーラ・シューマン(キアリーナ)、エルネスティーネ・フォン・フリッケン(エストレッラ)もショパンの両脇に登場するところが面白い(因みにショパンは変イ長調、クラーラはシリアスなハ短調、エルネスティーネはヘ短調)。すべてがフランス語のタイトルになっているところも当時の雰囲気が出ていると思う。この作品を弾くとき、13曲目(スフィンクスを入れて数えた場合)の「ショパン」を、静かではあるがある種のクライマックスとして、感じ取るのは私だけであろうか。またスフィンクスという不思議なモティーフのみの曲が第9曲目に入る(演奏されないことも多い)。最後にcommedia dell’arteの幾つかの登場人物について書いておきたい。小学館の伊和中辞典を参考にさせていただいた。アルルカン(第3曲目)=Arlecchino=道化役者。ヴェネチア方言を話す、ずるくて嘘つきで食いしん坊の召使役。仮面をつけ白色または色とりどりの菱形か三角模様の衣装で、腰に木剣を差している。コロンビーヌとパンタロン(スフィンクスを入れて16曲目)=Colombina=ずる賢く、活発な女の召使役 Pantalone=金持ちなのにけちなヴェネチア老商人役。赤の短い上着に細身のズボンをはき仮面をつけている。