Writings
あるピアニストによる直感的・触感的シューマン論
午年ふたご座の直感的シューマン観
(ムジカノーヴァ 2006年5月号)
8歳の頃、初めて《ユーゲントアルバム》に出あってから、折にふれていろいろな曲を勉強してきたシューマンですが、特に10代後半、荒削りながらソナタや《フモレスケ》《クライスレリアーナ》などを自ら研究した頃をなつかしく思い出します。
超天才のシューマンと自分を同列に考えるわけではもちろんないのですが、シューマンと自分には「午年のふたご座」という共通項があります。10代から20代前半の浮遊しがちな若者にとって、シューマンの多重人格的方向性、自己破壊への衝動、芸術至上主義や自由への夢など、決して他人事とはいえない気がしたものです。自分も「ダヴィッド同盟」の一員になり、フロレスタンやオイセビウスになったつもりでいました。今思えば、とても幼い、直感的・直情的ともいえる弾き方をしていました。もちろんジャン・パウルもホフマンも読んだことはなく、ピアノ・テクニック的にも、純音楽的な解釈という点でも、ノウハウがなかったのですから当然かもしれません。
しかし近頃は、作品を「純粋な音楽」として捉えること、そしてひとりの生身の人間としての作曲家像を知ることの重要性を認識するようになると同時に、また別の次元でのシューマン解釈の難しさに気づくことになりました。
たとえば、リストなどの場合とはまた違う音楽観に根ざしているシューマンゆえの解釈の自由度、言葉を変えれば楽譜に書かれたことを、どの程度厳格に遂行するか、という問題。これは、批判的精神を持ちつつもピアニストの個人的直感で判断しなくてはならない問題だと思います。
あるいは「アポロ的なもの」と「ディオニソス的なもの」との対比。ありとあらゆる西洋の芸術において繰り返し現れる重要な要素ですが、シューマンの場合は、それに加えて堅苦しくないさわやかさや、演劇や小説のなかの登場人物のようなさまざまなキャラクター描写(時には皮肉をこめて)の幅広さ、というものもあります。
[洗練と粗野あるいは激情と幻想]
この作曲家の洗練と、ある種粗野な土臭いリズムの共存、激情と親密な暖かさ、夢に耽溺するかと思いきや、妙に客観的な精神が現れたり、という気分のめまぐるしい変化などは大きな特徴のひとつでしょう。しかし演奏の際には、それらのバランスをとり、あまりにもおかしな、場違いな「コメディ」にならないようにしないといけません。
作品のなかで、感情的で刹那的なもの・幻想的な要素と、強固な構成・古典的調和を両立させるのは、多分シューマンにとって終生の課題だったと想像できます。一貫性のあるモティーフへの強い執着心とは裏腹に、その歌謡性に満ちた主題は、大規模な作品に展開しにくく、小品の寄せ集めに聴こえやすい。だからこそ、後年ブラームスの純音楽的特質や構成力に感嘆したのでしょう。特に室内楽、合唱曲、オーケストラ作品、またピアノ曲でもあまり親しまれていない作品28以降などはそのことを強く感じさせます。初期のピアノ曲にたびたび手を加えて第2版を出していることも、満足という言葉を知らなかった、彼の人となりを表しているように思えます。
また、シューマンの作品についてよく言われる「弾き難さ」の原因は、やはり彼の音楽が(ショパン、リスト、ブラームスなどのようには)「ピアニストの手の思考(指向)」から始まっていないということが大きいのではないかと思います。右手にかかるオクターヴの和音の連続などは、手に非常に負荷がかかります。他のパッセージにおいても指使いがどこか不自然で、彼自身の書いたフィンガリングも、たとえばリストのものほどには合理的ではなく、実際的でないこともあるような気がします。それがシューマンの個性なのですから考慮に入れる必要はありますが、彼自身も手を傷めた人だったわけですし、そのあたりは気をつけなくてはならないと思います。
[当時の楽器の響きと手触り]
私はフォルテピアノの専門家ではないのですが、昔からさまざまな古い鍵盤楽器に親しんでいたことや、特にここ数年、大阪・堺在住でフォルテピアノ修復の第一人者、山本宣夫氏と親しくさせていただいていることもあって、18、19世紀の作曲家が活動していた頃の楽器に思いを馳せることがよくあります。
もちろん当時のすべての音楽家が、当時の楽器に100パーセント満足したわけではないかもしれませんが、身近に存在した楽器が、その音楽家の感覚を作っていたことは否めません。また経年変化もありますから、当時の楽器が実際にどう響いていたのかは想像するしかないものの、現代に残されている楽器を知ることによって、昔の人が捉えていた「音」を感覚的に知ることができるだけでなく、鍵盤メカニズムについても「感触」として体験することができるわけです。
山本氏によれば、ロベルトとクララの結婚祝いに贈られたコンラート・グラーフは、ロベルト亡きあとブラームスが愛用。好んで弾いていたピアノはバプテスト・シュトライヒャー、クララの晩年にはグロトリアン・シュタインヴェヒも弾いていたそうです。彼らが親しんでいたのは、ドイツ・オーストリアの楽器、とくにウィーン式のアクションが中心だったはずで、それらは今の楽器に比べて信じられないほど、軽く繊細な音色と鍵盤を持っています。特に1840年頃までのドイツ・オーストリアの楽器のデリケートさは、シューマンの作品が持つインティマシーやデリカシーと密接に関係しています。現代の我々にとって、当時の楽器の手触りから学ぶことはとても大きいと思います。
ムジカノーヴァ 2006年5月号
特集:没後150年記念 やっぱりシューマンが大好き!
編集/構成 工藤啓子