Writings


CD「ソナチネアルバム」 解説B


この曲集の練習、演奏に際しての、幾つかの簡単な覚え書き・・

pianoとforteの指示は明らかに守るべきですが、レンジの広い現代のピアノで演奏する時は、それがあまりに極端にならないように、美しい音で、古典的な趣味の範囲内で、演奏するのが「基本」ではあります。但し、昔の楽器の為に書かれた作品を、現代のピアノで演奏する事の欠点の一つは、音量をコントロールし過ぎると、本来作品が求めている、力感・情感・雰囲気がなかなか出ない場合がある事です。当時の楽器なら思いきり弾く事が出来るパッセージが、現代のピアノだとその様に弾けない事による物足りなさに繋がってしまうのです。音量が大き過ぎ、音色や音の減衰の仕方が異なり、ペダルの効果も全く違う訳ですから、無理もないのです。

スラーについて・・・スラーが書かれていない時には、音型をモティーフとして形作る為に、2、3、4つ等と音をひとまとめにするスラーを付けることも出来ますし、ノン・レガートやスタッカートにすることも出来ます。また同じ音型パターンが出てくる時には前回と全く同じにするか、或いは全く異なるアーティキュレーションにするか、選択をする事が出来ます。

アルペジォについて・・・20世紀初め頃迄の音楽では、スタイルにもよりますが、作曲家はオクターヴや和音を弾く際に、頻繁にアルペジォにしていたと言われています。勝手気ままに弾くという事ではありませんが、楽器を奏でていて、少し音をずらした方が、構成音がはっきりする、メロディーラインが明確になる、多声部書法が綺麗に聴こえる、鋭角的でスクエアなリズムをまろやかにする、又同じパターンの持続を避ける、等という理由がある場合、ルバートの一手法として使う事が出来ます。20世紀後半の演奏スタイルはこれを避ける方向が顕著でしたが、19世紀生まれ、20世紀中頃迄活躍していた世代の、殆どの大演奏家は勿論の事、それ以前の大作曲家が自身の作品を演奏する際も、当たり前の事としてこの手法を用いていたと言われています。但し、これを使いこなす為には、作品のスタイルに出来るだけ親しみ、よい趣味の範囲を超えない様に配慮する必要がありそうです。

装飾音について・・・装飾音が出て来ると、どう弾いたらよいのか、色々と考えさせられますが、いつも観察すべき事柄は、性格、テンポ、主音と前の音、主音と後の音との(音程やリズムの)関係、また主音の長さ、左手との関係、どのような音程や和声を作り出しているか等を、良く聴いてみて下さい。長前打音にするか、短前打音にするか、また前打音をやや早めに始めるのか、拍に合わせるのか、アクセントは前打音に来るのか、主音に来るのか、等について、色々と考えてみて下さい。


スラー、アーティキュレーション、装飾音、印刷譜などに関する事柄についてのメモ・・・
一つの演奏方法、考え方の一例として、特に曲集の初めの曲の幾つかについては、少し詳しく書いてみたいと思います。

プレイエル 6つのソナチネ
第1番
18小節に見られるような完全5度への進行は、「わざとそうした」可能性もありますので、楽譜に書かれたそのまま弾く方法もありますし、その前に前打音をつけてメロディーラインを滑らかにする考えもあります。
40小節についている繰り返し記号の代わりに、32小節で24小節に戻り、その後は、繰り返しを行わない方が、構成的には「普通」です。この6曲のソナチネは、オリジナル曲ではなく、プレイエルがそれ以前に書いた室内楽曲から、様々な曲を取りだしてアレンジしたものの様ですし、草稿譜が残っている訳でもなく、40小節にある繰り返し記号が本当に正しいものなのか、やや疑問が残ります。但し、楽譜通りの方が、ユニークで、面白いアイディアとも言えます。

第2番
アウフタクトで始まる点と、八分音符主体のリズムである点、Allegrettoということが、第1番と共通していますが、比較的短い時間のスパンでForteとPianoが入れ替わる事や、17小節からの中間部(トリオ)から、四度上の調性のハ長調になり新しい音楽的アイディアが始まる事、などが異なります。
23小節のトリルは、主音から始めると、完全5度の音程が強調されますので、個人的には上のロ音から6つの音を入れるのが良いのではないかと思います。但し、メロディーのラインの滑らかさを優先させるのならば、主音イ音から始めて5つ、又は7つの音を装飾音として弾く事も、絶対駄目とは言い切れません。
25小節には減七の和音が出てきますが、右手の4音にまたがるスラーは、スラーそれ自体が目的と考えずに、減七の和音の和声感を感じさせるために、音符を長めに保つといった意味に理解した方が良いと思います。
スラーの意味を探るのはいつもとても難しい事ですが、25小節の様に、和音をひとまとめにするため、次の26小節の様に、和音の変化、五度音程のモティーフ、ある特定の旋律音型のモティーフを明確にする為や、27小節目の様に、半音階などに彩られたリズムのモティーフの際に、和声音と和声に含まれない和声外音を区別させる為、等色々とあります。もちろん作曲家によっては弦楽器の弓使いを応用させている場合もあります。
スラーを楽譜通りそのまま正確に再現する事によって、特に音響の良いホールの場合、聴衆側に、音楽の発音が明瞭に聴こえる事を助ける場合もありますし、反対に、小節線ごとに切れているスラーを、余りにもきちんと楽譜通りに弾くと、音楽がぶつぶつと切れ目続きのように聴こえてしまう可能性もあります。ですから、ある程度の法則性を知りつつも、それに縛られない事、最終的には、その場で、感覚的に、耳で判断するという事が必要になります。

第3番
落ち着きのある、平和な雰囲気に支配されている曲で、個人的にはややイギリス風に思える(変ロのペダル音と、右手の6度音程から、それが感じられるのでしょう)、最初から16小節までと、17小節から32小節までのモーツァルト風の(ヘ長調の)部分のバランスが素晴らしい曲だと思います。29小節目は、師ハイドンの書き方そっくりです。
性格的にはAndanteではなく、ma non troppoではあるものの、Adagioであることが大事な所だと思います。この曲は今までの2曲に比べても、より多くの「楽譜に書かれていない装飾音」を入れてみる事が可能かもしれません。
20小節目の最初の左手の上の声部は、イ音ではなく、変ロ音の方が、耳には自然に響きます。作曲者は、前の小節からの内声の下降のラインを意識していた訳ですが、このように書かれているときに、20小節目の最初の和音は不協和音であり、その解決音が2拍目にあるという事を感じ取ってみてください。

第4番
ホ長調という調性、そして音域が高い事、オルゴールのような響きを作り出す伴奏型など、今までとは異なる雰囲気を持っています。前半も後半も「書かれた繰り返し」があり、完全に均等に16小節ずつ分かれています。それぞれの2回目は、少しだけ装飾を加える事も可能だと思います。

第5番
初めて短調が現われます。最初はとてもseriosoで、5小節目のC-Durからは音の色彩を変えて、抒情的に弾く事をお勧めします。17小節目からは和声の変化が印象的、また符点のリズムが上昇(今までは符点のリズムは下降が主だったのですが)して、全体的にとても狭い音域しか使われない、この曲で使われる最高音にも達します。19小節は特別な和音、ナポリ6の和音が使われます。それが減七の和音に動き、イ短調のドミナント和音に達します。21小節の旋律線も増二度が使われ、ミステリアスな感覚を与えています。
この曲では音楽がシリアスなので、装飾音を加えたりすることはほとんど不可能ですが、8小節、19小節では、左手の音が空虚な感じがしますので、繰り返し2回目と同じ様に、ベース音を加えても良いのではないかと思います。

第6番
シチリアーノのリズム、graziosoの性格で演奏して下さい。
17、19、25、27小節の左手は、通奏低音の数字が書かれている訳ではありませんが、単音ではなく、3度上の音などを加えた方が良いと思われます。特に25、27小節では、更に、左手に少しばかりのアルペジォを加えても良いでしょう。この曲の後半は、装飾音を加えた方が良い所が何箇所かあります。その中の一つの事ですが、22小節の4拍目は、そのまま弾くと、5度の音程が余り美しくないので、上からの装飾音を入れた方が良いかもしれません。

フック
第1曲
第1楽章
両曲とも、一楽章は、パストラールで、2楽章はアレグロのテンポを持った快活なロンドです。2曲の両楽章とも、中間部にはMinore(短調)の部分があり、コントラストを作っています。
フックの2曲ともトリルの記号が多く、一般的な法則からすると、上からのトリルにするべきなのでしょうが、私見を述べますと、かなり頻繁に、主音からの装飾音の方が綺麗に響きます。イギリスらしい協和音程の感覚を引き出す為に、あえて不協和音を強調するより、協和音の感覚を大切にする方が良いのではないかと思います。
例えば1、2小節にかけてのメロディーラインは、4度で上昇する形を取りますが、その際に装飾音を上から取りますと、旋律線として余り美しくない様な気がします(繰り返しの際に変える可能性もあります)。
3、4小節に関しては、旋律線が少しずつ下がりますが、七和音のg音を生かすのであれば、主音から、という考えも成り立ちます。左右の手の声部を良く聴きながら、よい装飾の音、スピード、タイミングを選んでみて下さい。
9小節からですが、楽譜通り、そのまま弾いてしまうと、各小節初めの音は8度の音(内声)が余り綺麗ではありません。上からの装飾音を入れるか、左手の上声部を省く事(特に一回目の9、10小節は)、等が必要になると思われます。
30小節にも装飾音を加える事が出来ると思いますが、1つめは上隣接音の、2つめは下隣接音の装飾をつけますと、直後に出て来る音と同じ音にならないですみます。36、38、40、47~50小節などの装飾音はほんの一例です。色々と工夫してみて下さい。

第2楽章
con spiritoの性格を大切に演奏して下さい。主音が短い装飾音、例えばこの楽章の場合16分音符の事も多いですが、その場合、装飾音は主音の少し前に弾く事も可能です。(そしてその場合は、最初の音ではなく装飾音最後の音にアクセントが付きます。)8小節など、楽譜通りに弾くと、完全8度が美しくないので、装飾音にして、解決音を2拍目に弾くなどしましょう。この楽章なども、「装飾音は上から取る」、「装飾音は拍の頭に合わせる」という法則が、必ずしも常時当てはまるものではない、という事を教えてくれます。
9小節等も、主音のイ音から始めた方が、左手との10度音程が綺麗に響きますし、モティーフがはっきりします。とは言え、Da Capoの際に装飾音を変えてみる事も勿論出来るでしょう。
Minoreはかなりフランス風の感覚があります。タンブランで演奏する音楽を想像してみて下さい。
53小節の装飾は、上音から始めて平行8度の進行を和らげるか、又は主音から始めて敢えてその禁じ手を強調するか、色々と考えられます。後者の場合、副産物として、9小節に初めて出てきたモティーフがここで現れる事を強調する事になるかもしれません。
54~56小節は、再び少し装飾を工夫できる所でしょう。(このような所は、後年モーツァルトが協奏曲の中でEingangとして即興にゆだねている部分と、基本的には同じです。)

第2曲
第1楽章
先程は八分の六のシチリアーノのリズムでしたが、今度は同じパストラールでも、四分の四拍子、ホ長調です。装飾音の事などは、全く1曲目と同じことが言えます。

第2楽章
この曲の作風から言うと、何度か同じパッセージが繰り返しをする時には、アーティキュレーションに変化を加える(例えば、スタッカートをスラーに)、右手の3度の速い動きに音を加えて、上昇スケールにする(例: Rondoの19~20小節)、装飾音を加える、等という事が出来ます。7小節から8小節にかけては、右手と左手が幾つかの完全8度の関係を作りますが、二回目は、音型を逆にして、それを避ける事も出来ます。これも私見ですが、恐らく当時殆どの作曲家は、その様なことを認めていたのではないかと思います。

ハイドン
第1楽章
Moderato テンポの設定は、一番音価の短い32連音符や、符点のリズム、7、42、60小節などからのシンコペーションなどが適切に演奏できる、速過ぎない、しかし生き生きとしたテンポを選んでください。

第2楽章
Menuetですが、余り遅すぎずに、そしてTrioはそれよりもやや早めのテンポをお勧めします。このようなシンプルな楽章は、想像するよりもはるかに演奏が難しく、テンポの選び方、性格付け、音色、タッチ、音の長さ、声部相互間のバランス、アーティキュレーション、などが細やかに味付けされていなくてはなりません。

第3楽章
素晴らしい、エネルギッシュなフィナーレです。アイディアの面白さが持続する、大変高揚感のあるPrestoです。短い曲なのですが、弾くにはかなりの技術と、持久力を必要とします。第1楽章とは異なるスピード感で、断片的なアイディアが、短い時間的スパンで展開されますが、不意打ち的なダイナミクスのコントラスト(突発的に、音量、音質を変えるだけというのではなく、「性格」を瞬時に変える必要があります)、リズミックなアクセントの付け方、必然性を感じさせる休止府の長さの設定などなど、面白い課題がたくさん詰まっています。何も書かれていませんが、95~96小節(特に2回目)は、テンポを落として、フェルマータを付ける方が良いと思います。後半部分の終わり方ですが、繰り返しに戻る1回目と、曲の終わりの2回目は、異なる終わり方が可能です。

チマローザ
第1番
16分音符は様々なアーティキュレーションの可能性があります。スラーなど、色々と工夫してみましょう。また装飾音も書かれている以上に入れる事が可能と考えられます。2度連続して同じパッセージが続く場合は、曲の性格が生き生きとしているものである為、ダイナミクスを変化させる(例えばmenoにする)のも一つの方法ではありますが、装飾音を加えるやり方もあります。例を挙げますと、15~16、24~25、29~31小節目などです。
18小節等、上昇する装飾音の初めの音を、全て拍に合わせても良いのですが、2拍目は、3つめの音に合わせ、3拍目は、最初に合わせる事で、8度への進行を避けました。このように、装飾音は様々な角度から吟味をする事も可能ですし、場合によってはあえて、勇敢に、「法則性を無視して飛び込む」、といった事も面白いかもしれません。
チマローザの音楽は、後のドイツ音楽の様に、構造的に、そして論理的に展開していくといったものではありませんが、旋律の美しさや、ひらめき、buffaの要素(例えば11小節目からの右手の同音反復など)、など人を楽しませる要素に溢れています。ダイナミクスのコントラストもやや多めに付けて、調和のとれた、しかし対比に満ちた性格を表してみて下さい。

第2番
完全に2声で書かれたト短調のアリアです。スラーは書かれていませんが、アウフタクト+嘆き(或いは溜息)の音型という風にも捉えられると思います。addio(さようなら)というイタリア語の言葉が、そのまま当てはまる音型、lamento(悲哀)の表現と言えます。一般的にはバッハ、モーツァルトの作品など(リストでも・・)で有名な嘆きの下降音型は、隣接する音「二度」の事が多いですが、このチマローザのような、協和音程の三度や六度でも可能なのです。おまけに左手の音型も時間差はありますが、三度モティーフが出てきます。これらは、後の2つの音をレガートで演奏するのがベストのように思いますが、左手は(楽器の音色や響きの長さ次第では)弦楽器のピッツィカートのように弾く事も可能の様に思います。
7小節や16小節等に現れる、16分音符のモティーフは、上昇する2度をスラーで繋いでも良いと思いますし、逆にメトリックのずれを意識して、3度をスラーで繋ぐ事も出来るでしょう。作曲家があえてスラーを書きこまなかったとすれば、幾つかの弾き方の余地を残して置いた事も考えられるのです。

第3番
メヌエットとは書かれていませんが、やや速めのメヌエットと思われます。
やはり繰り返しに装飾音を加えても良いでしょう。
21小節等は装飾音を加えないと、一拍目の響きが汚くなります。そしてその場合、当時の文献に依りますと、3拍子の曲ですので、前打音を加えると、3拍目に解決音が来る可能性が高いのです。曲の最後の和音は楽譜の額面通りに受け取らず、変ロ長調の綺麗な和音になるように、3度音程の音等、少し音を加えて、第1曲目の最初の和音を思い起こさせるような和音を選ぶと良いのではないでしょうか。

クレメンティ
第1番 作品36-4
昔から使われているソナチネアルバムにも含まれている、おなじみのソナチネです。クレメンティに関しては、装飾音を加える必要は殆どないと思われます。イタリック体で書かれた、クレメンティ自身の指使いを大いに参考にして下さい。また長めのペダルを使うように指示がある所は、なるべくその通りにしてみて下さい。
作曲家の頭には、恐らくイギリスのフォルテ・ピアノの音が常にあった筈ですので、1816年製ブロードウッド(当時のイギリスの名器)で演奏したバージョンも、このCDには含めました。是非雰囲気を楽しんで頂きたいと思います。

第1楽章
13小節からのフレーズは奇数小節で、17小節目が5小節目にあたります。18~22小節、23~27小節も、同じ5小節フレーズです。28~30小節、中間部に入ってすぐの31~33小節も3小節の奇数小節フレーズです。38~42、43~47小節等も5小節フレーズです。その後も、3小節や5小節のフレーズが沢山あり、これがこの楽章の特徴です。メトリック、リズムの躍動感を十分に味わって弾いてみて下さい。

第2楽章
第1楽章とは反対に、フレーズはすべて4小節、8小節の単位です。作曲者が、穏やかさ、抒情性が表現できるように注意を払ったのでしょう。Con espressioneはピアノのダイナミクスであっても、薄い音になり過ぎずに、遠くへ響かせるようなつもりで、そして出来るだけ温かみのあるサウンドで弾いてみて下さい。
17小節からは別のセクション(B)に入りますが、12小節続きます。29小節から終わりまでは、再び12小節間続くセクション(A’)とも言える部分ですが、ppからffまでの変化があります。但し、現代のピアノで自然に聴こえるようにする為には、余り極端なダイナミクスまで駆使せず、しかし曲が求めているキャラクターを失わずに表現する事が必要なのではないでしょうか・・。特に37、39小節右手、左手両方に出て来る、同じ音を繰り返す様な場合、強過ぎない適度な音量を選ぶ事、弱拍に余り強いリズムのアクセントをつけ過ぎないようにすること、等を試してみて下さい。

第3楽章
軽やかで、ピアニスティックな魅力に富んだ最終楽章です。
第1楽章の64小節等もそうでしたが、この楽章22小節以降や37小節以降に現れるパッセージは、1820年前後のピアノにようやく一般的になった高音域が使われており、攻撃的ではない、しかしきらきらした音色が必要です。この曲の1797年版も一般に広く流通しておりますので、比べてみると、当時のピアノの音域の事や、クレメンティが何を「改善」しようとしていたかが良く分かります(彼自身が1820年第6版には、with considerable improvements by the authorと書いたのです)。
26~7小節には、左右の手が交差するパッセージが現われます。交差のテクニックのポイントとしては、どちらの手を上にするのか、下にするのかをはっきりさせる事と、身体の軸を意識する事、肩、腕、ひじ、手首の角度を工夫する事です。

第2番
第1楽章
こちらのソナチネはヘ長調のものと比べて一段とスケールが大きく、難易度が増すソナタです。大変広い音域を駆使したスケール、レぺティション、当時の楽器の特性を考慮に入れたぺダリングなど、大変興味深い作品で、重厚な、そしてヴァラエティーに富んだ雰囲気を持っていると思います。43小節のクレメンティの指使いはとても理にかなったものです。現代の鍵盤サイズと深さでは弾きにくいと感じる方もいるかもしれませんが、なるべくこの指づかいで練習する事をお勧めします。

第2楽章
1797年の初版ではもともとAllegretto spirituosoと書かれていたものが、1820年版では、Allegretto pastoraleに変更されました。ppからffまで、ダイナミクスの幅は広いのですが、pastoraleの素朴な性格、純朴な感覚を失わず、テンポも中庸を守った方が良いと思われます。

ホフマイスター
第1楽章
様々なリズムの形が出てきます。またソナチネと言うには規模が大きく、殆どソナタと言えるのではないでしょうか。展開部、再現部とも、必ずしも型通りでなく、新しいアイディア(例えば53~82小節、91小節~103小節)が沢山出てきますし、変ホ長調という事もあって、なかなか重厚なキャラクターを持った、良く出来た曲です。

第2楽章
第1楽章に比べると、音域も狭く、シンプルに書かれていますが、アーティキュレーションの指示等を良く読んで弾いてみて下さい。
またキャラクターは、余り慎重にならないように、vivaceという事を、思い出して下さい。トリオの部分(35小節~)は、4度上(サブドミナント)の変イ長調になっています。
59小節からは、ドミナントの変ロ音に至る移行部です。楽章の始めのポルタートや21小節からのレガート等は、あまり指先を立てずに、やや寝かせて、比較的手を平らにして弾く方が、ふさわしい音色が得られると思います。

プレイエル・3つのソナチネ
曲集最初の6曲と比べると、かなり規模が大きくなり、全て2楽章構成を取ります。

第1番
第1楽章
最初だけですが、テーマのアイディア自体は、モーツァルトのイ短調のロンド(KV511)のメロディーに影響を受けたように思われます。
短調のセクションからMaggiore(長調)のセクションに移行する時の、前後2つの性格の対比を大切にして下さい。
Maggioreは右手の三度の重音を、適度なレガートで綺麗に響かせるのは簡単ではありませんが、dolceで、余り重くない拍子感を持って弾いてみて下さい。
個人的には、11小節の最初の音の8度音程が気になります。判断については、演奏者それぞれが行う方が良いですが、10小節のベースのラインをやや強調すれば、小節最後の左右の手で弾かれる音と次の11小節の最初の音が、平行8度を作り出すことを緩和させる事が出来ます。又は、メロディーラインを15小節のようにハ音にする可能性もあるかもしれません。

第2楽章
アレグロに近い、躍動感のあるアレグレットと思われます。再び3度の重音が沢山出てきますし、スラーとダッシュ(マルカート)の記号を正確に再現するのは、なかなか技術的ハードルが高いものです。スラーの次にダッシュが書かれている場合、それを分離させるのか、又は一つの流れで弾くのか、その判断がなかなか難しいものです。

第2番
第1楽章
テンポを選ぶ時には、16分音符や、符点のリズム、Minoreの部分のテンポとの関連を考えてみて下さい。16分音符と32連音符による、独特の符点リズムは、バロックの時代のリズムを思わせます。

第2楽章
ドイツ圏のFruehlingsgesang(春の歌)の様なキャラクターです。24小節から48小節までの中間部は、主にニ短調で書かれた、とても変化に富んでいる部分です。
32小節からは右手の重音レガートが出て来ます。ただレガートとは言っても、後期ロマン派のロシア作品のような、長く持続する「太めのレガート」ではなく、比較的短めの、例えば、2音か3音単位のスラーをつけて、歌わせる方がスタイル的には良いと思います。
左手の16分音符のパッセージは、スケールの場合、伴奏形の場合とも、指の動きはもちろんですが、美しいフレージングの為に、手首を柔軟にして、比較的小さいものの、肘を軸にした、適確な腕の動きも使って弾いてみて下さい。

第3番
第1楽章
Adagioですが、重過ぎず、深刻過ぎず、しかし繊細な抒情性を持って弾くと良いと思います。再び符点が沢山出てきます。弦楽四重奏曲のように、スラーの指示を生かした、細やかなニュアンスや、陰影に富んだ、自然なフレージングを目指して下さい。
12小節でニ長調に達しますが、翌13小節からは早くも意外な転調を見せ、15小節からは、やや感傷的な、しかし印象的なメロディーと和声が、ゼクエンツの形で現れます。半音階で下降するベースラインと内声を良く聴いて下さい。この辺りは、ソプラノ歌手の歌を聴いている想いがします。

第2楽章
規模の大きなロンドです。ハイドンの幾つかのソナタに近い書法、喜びに満ちた性格を持っています。
殊に24小節から77小節まで、また103小節から149小節の部分などでは、冴えたリズムと指の動き、瞬時に変わるダイナミクス、タッチと音色の変化が必要でしょう。
103小節からのMinoreでは、ト短調から始まり、118小節で変ロ長調に達しますが、そこからは4小節単位のゼクエンツが2回、1小節単位のゼクエンツが4回などの間に、様々な転調を行い、132小節でようやくドミナントに到達します。その後は半音階を多用した下降のメロディーラインが印象的です。
174小節からの印刷譜の音は、個人的な考えですが、恐らくスケッチのようなものと考えています。平行8度を避けて、和声を加えても良いのではないかと思います。

エーベルル
第1楽章
少し初期のベートーヴェンを思わせるような、無駄のない、非常に整然とした作風です。
様々な主題が出て来る提示部に対して、展開部はコンパクトに作られていますが、53小節からのアイディアは新しく、少しモーツァルト的です。また再現部も第1主題ではなく、第2主題から始まる、とても簡潔なものです。

第2楽章
このソナタの中心と言って良い、温かみのある性格をもった、ヘ長調の楽章です。8小節~16小節、24~31小節までの持って行き方は、まさに前者はベートーヴェンの初期の音楽と、後者はモーツァルトの音楽との直接的な関連を感じさせます。
尚、この楽章の印刷楽譜は、必ずしも全て作曲者が意図していたものかどうか、本当にプリント・ミスが無いのか、或いは忙しく多作の作曲家につきものの、作曲して書く際の、ケアレス・ミスが無いのか、分からない部分が多いと思っています。
はっきりしているのは、特に31小節終わりから、楽章最後にかけての音の選び方に、和音が空虚だったり、完全8度や完全5度への進行が多いことです。
個人的には、31小節の3拍目後半左手には、右手と10度(3度)音程になるホ音を追加したいと思いますし、32小節の2拍目の右手の親指で弾くヘ音は3拍目まで保つ、34小節の2拍目後半左手にはハ音を追加し、3拍目への完全5度への進行を予め準備する、36小節は、高音域の為、一拍目がかなりきつく感じられるため、右手を半拍ずらし、シンコペーションにする、38小節の1拍目右手の最初の音には上からの装飾音を加える、2拍目は、左手の伴奏形のイ音と重ならないように、メロディを3度下げて、ヘ音で弾く、等という工夫が考えられます。
39小節と41小節も、2拍目から3拍目の進行に問題があるので、色々と工夫の必要がありそうです。このような事は、行き過ぎると、作品や作曲者の姿が見えなくなる危険性もありますが、この楽章の場合、あえてかなり細かい変更を加えてみました。一つの捉え方として、参考にしてください。

3楽章
八分の六拍子で書かれた、非常に美しいロンドです。プレイエルとは趣が違いますが、やはり最初の部分は、Fruelingsgesang(春の歌)の要素があります。このソナチネアルバム集の5曲目のプレイエルにも出て来ましたが、長短のリズムは、ベートーヴェンがtrochaeischen Versmassといったギリシャの韻律(詩のリズム)にも関係するリズムです。長調の部分は、さわやかなAllegrettoで弾いて下さい。
Minoreの部分の左手は、和声的に聴こえるように、フィンガーレガートで、特に1拍目と4拍目の八分音符を、符点四分音符分になる位、長めに弾いて下さい。少し細かく言いますと、2拍目と5拍目は殆ど四分音符分、3拍目と6拍目は八分音符分伸ばすという様な具合です。
右手のメロディーについてですが、同じダッシュ(マルカート)の記号が付いていても、Minoreでは、沈んだ気分で、タッチもそれ相応に、余り「跳ね過ぎず」、鍵盤の傍で、指を鍵盤から離すスピードをやや遅めに、鍵盤からの指先の離し方をコントロールして下さい。

ディアベッリ
第1楽章は、Tempo di Marcia(行進曲のテンポで)とあり、第2楽章はMarcia Funebre(葬送行進曲)、第3楽章は打って変わってRondo Militaire(軍隊風のロンド)、とあり、全て2、4拍子系の行進曲になっています。第1、3楽章は、貴族の狩りの際に鳴る金管楽器のファンファーレのようなイメージがあります。内容が深い作品とは言えませんが、とても分かりやすい楽しさ、子供の世界に通ずるものがあり、特に子供達にはとても親しみやすい作品になっていると思います。

クーラウ
第1楽章
場面が目まぐるしく変わる劇場風のスタイルです。オペラの序曲の雰囲気もあり、部分ごとの性格、リズムがとてもはっきりとしていますので、曲想は捉えやすいと思います。アルペジオの部分は別として、大部分は、弦楽器のアンサンブルや、オーケストラの様々な楽器に書き換える事が可能な感じがします。11小節からのテーマは完全に「ロッシーニ」風です。尚41小節1~2拍目左手の嬰ト-ニ-ホ音の進行は、右手との関係を考えますと、8度が気になります。

第2楽章
当時センセーションをヨーロッパ中で巻き起こしていた、(しかしベートーヴェンは嫌っていた)ロッシーニの人気オペラからのテーマを主題として用いています。「アルミーダ」というオペラで、1817年にナポリで初演されています。因みにこのソナチネは1824年に書かれています。
技術的に見ても、ピアニスティックな、難しい所が沢山ありますので、この曲集を締めくくるのにふさわしい曲です。変奏も皆とても良く出来ていて、特に最後の第4変奏に入る所や、その後イ長調に変化する所など、ロッシーニらしさが満載です。余りにも上手にロッシーニのスタイルで作曲されているので、当時の人々の笑みを誘ったと思いますが、クーラウにとっては、このような作曲など、おそらく朝飯前だった事でしょう。

(Copyright 上野 真 / Makoto Ueno)