Writings


ラフマニノフ&ドビュッシー


私にとって今回のアルバムのライトモティーフは、乱暴な括りではありますが、1913年・チャイコフスキー・ローマです。

ラフマニノフは、(直接的にはアレンスキーやタネーエフの影響力の方が大きいのかもしれませんが)、チャイコフスキーを生涯敬愛し、またロシア音楽と西欧音楽の融合という意味で、自分自身を一番の後継者だと自負していたのではないかと思われます。

また、このラフマニノフのソナタ第2番はローマで主要な構想を練られ、モスクワで完成されています。チャイコフスキーも滞在して仕事をしていたとされる、ローマのある部屋で、「チャイコフスキーが使用していた机で」書かれたと言われています。

一方ドビュッシーは、1880年頃、丁度10代終わりの若かりし頃に、エキセントリックなチャイコフスキーのパトロン、フォン・メック夫人の専属ピアニスト、そして子供たちの音楽教師として、ロシアを含むヨーロッパ各国に滞在していた事がありました。またローマ賞受賞の結果、ローマ滞在(精神的には難しい時代だったらしいのですが)をしていたという過去もあります。

一般的なラフマニノフのイメージからは意外かもしれませんが、彼は作曲家、ピアニストとしてだけ活躍していた訳でなく、帝政ロシア時代は、活動の力点が、交響曲やオペラの指揮をすることにもあり、1917年の革命前から西側の最新の音楽の状況を良く識っていて、実際かなり早い時期にドビュッシーの音楽を指揮した事もあるらしいのです。(因みにドビュッシーは、クーセヴィッキー等の招きで1913年冬にロシアを訪れています。)

ほぼ同時期に書かれた全く異なるベクトルを持つ作品を、今年から数えて丁度100年前、彼らの生きた風景に想いをはせ、演奏したいと思います。


使用ピアノCD-135について

この録音プロジェクトを進めるにあたって、日本ピアノサービス(神戸)の磻田耕治氏のご好意により、同社保有のニューヨーク・スタインウェイCD-135をお借りする事が出来ました。心よりお礼を申し上げます。

磻田氏とは、1970年代半ば、私が小学生の頃から、度々お付き合いさせて頂いていますが、CD-135については、2002年大阪でチャイコフスキーのコンチェルトを演奏した時以来、ラフマニノフ、ガーシュインなどの作品の演奏会の際に弾かせていただき、その度に、何か良い録音の機会があれば、と考えていました。

この楽器は、1925年に製造された、ピアノの黄金時代の楽器で、長くニューヨークのスタインウェイ本社の所有・貸し出し用ピアノだったものです。ラフマニノフ、ホフマン、ゴドフスキー等がアクティヴに活躍していた頃のピアノで、もしかしたらその様なスタインウェイにゆかりのある当時の名ピアニスト達や、その後の世代、例えばホロヴィッツ、ゼルキン、アラウ、カペル、グールドなど、様々なピアニストが弾いていた(少なくとも試し弾き程度はしていた)可能性がある楽器です。90年近くたった今でも、大変良いコンディションをキープしています。ピアノは弦楽器とは違い、多くの消耗部品がありますが、銘器というものがいかに長生きなのかよく分かる一例です。

最近では日本でもニューヨーク・スタインウェイの素晴らしさについて徐々に語られるようになってきましたが、一般的には、余りポジティヴでないイメージも、まだ付きまとっているようです。
私にとって、米国製のスタインウェイは10代から20代初めの一時期、特にカーティス音楽院の学生だった頃、多数の楽器を弾いた思い出と繋がっています。1890年代から1980年代までの様々なスタインウェイのモデルがあり、中には、酷使され、手入れがされていない、お世辞にも良いとは言えないコンディションの物も多くありましたが、ニューヨークやワシントンで、最高の楽器にも何度か巡り合いました。ニューヨーク製の楽器の一台ごとの個性の幅広さ、低音域の素晴らしさ、音域毎の声質の違い、パワー感は素晴らしいものがあります。
サウンドを愉しんで頂けましたら幸いです。

上野 真
2013年3月 京都にて