Writings


エラールによるリスト作品の録音について


ベートーヴェンとショパンの録音と同様に、ヤマモト・コレクション蔵の、貴重な1850年代のエラールを、今回の録音に使わせていただけることになりました。山本宣夫氏と、アシスタントの波多野みどり氏のご厚意に、心からの感謝を申し上げます。両氏の全面的な協力無くしては、このアルバムが日の目を見る事はありませんでした。

リスト=エラールというイメージは、ショパン=プレイエルと同じように、19世紀前半のロマン派のピアノ作品と大きな結びつきを感じさせます。必ずしも彼らはその楽器しか使わなかった訳ではありませんし、特にリストは生涯様々なピアノを、各地で演奏しました。しかしエラールがスポンサーとして、まだ広くは知られていなかった10代の若きリストを、様々な面からバックアップしており、フランス在住の時代、或いは滞在中に、リストがエラールを好んで弾いていた事は事実のようです。フランスの楽器というイメージが強いエラールですが、ピアノ先進国イギリスの影響を強く受けた楽器とも言えます。事実エラールはフランスだけでなく、イギリスにも工場を持っていました。プレイエルよりも価格的には高額で、製造された台数も少なかったと聞いています。

「進歩」という名目のもとに失ってしまったものの大きさなど、様々なことを感じさせられる今日この頃ですが、21世紀も既に14年目、芸術分野においても、益々価値観の多様性を認める事の出来る時代になってきていると思います。ピアノの分野においては、より多くの幅広いレパートリーを、異なるアプローチで、聴き、弾いて、味わう事が出来るようになってきました。その様な中で、「19世紀の人々の音に対する美意識」を、現代において識る事が出来る、というのは心躍る経験です。作曲家はその時代特有の音環境の下で創造しているという紛れもない事実を、昔の楽器を通して再確認出来る事は大きな喜びです。

リストの作品については、ヘルトリッヒ氏の解説に詳しく書かれていますので省きますが、19世紀半ば、芸術音楽と、エンターテイメント音楽は、今日に比べ、互いにずっと近かったのではないか、時には深遠なる芸術性を追求し、又ある時には、その境界線すれすれの所を(時にはエンターテイメント側に大きく踏み込みつつ)、リストは歩いていたのではないか、と思っています。かつてハンガリーを除く中央ヨーロッパ、特にドイツ語圏では、リストについて否定的に語られる事が多かったのも、ようやく21世紀に入り、多角的な視点から作品全体、人物像を捉える風潮になってきたのは、素晴らしい事だと思います。

このCDのプロジェクトに関わって下さった全ての方々に感謝します。

上野 真
(2014年 7月 京都にて記す)