Writings
このレコーディングについて
はじめに
1927年製のこの美しいエラールで、20世紀初頭に作られたフランス・ピアノ作品のレコーディングを実現できたことを大変嬉しく思っています。様々な面から多大なご協力を頂いた、びわ湖ホールと森田ピアノ工房の皆様に心よりお礼申し上げます。
1950年代以降近年まで、演奏会やCD録音の80~90%以上は「新しいスタインウェイを使う」ということが、当然の前提条件として存在していました。現在でもスタインウェイは全世界で最も信頼を勝ち得ている楽器と言え、総合的な設計の天才性、アクション機構のフレキシビリティー、大ホールで音を飛ばす力の素晴らしさ、メンテナンスでの復元性は疑う余地はありません。しかし戦前には、フランス、ドイツ、オーストリア、チェコなど西欧と中欧の音楽文化の中心地それぞれにメジャーなメーカーが複数あり、それらが、それぞれの国の多くのホールに入っていることが殆どでしたし、レコーディングスタジオも同様だったようです。スタインウェイは、ドイツ移民が作った最も米国的なメーカーですが、20世紀初頭まではヨーロッパでも米国でも、数多くのピアノ製造メーカーが独自の技術で、それぞれ個性的なピアノを製造していました。
私は数十年間演奏活動をする中で、「楽器の響き」に創作や演奏の方向性が直接大きく左右されることと同時に、「響きを超えたところ」にも音楽の重要な一面があるということを意識してきましたし、いつも大きな関心事として捉えてきました。近年は条件の許す限り、例え困難が伴ったとしても、出来るだけ異なる、ヴァラエティーに富む楽器を使いレコーディングするように努力しています。
サウンドの質、アクションの状態も全く異なる、様々な楽器に柔軟に対応するためには、相応の演奏技術とイマジネーションが必要です。また古い楽器のほとんどは、経年変化がある上に、スタインウェイ等のように、現代的なメンテナンス性を持っているわけではありませんから、普通では苦もなく実現出来ることが、難しい場合も多々あります。しかしながら色々な楽器に出会い、弾く事が出来るというのは、多様な人々に会う事と同じように、大きな喜び、愉しみに成り得ます。過去の様々な楽器を知ること、元々の姿を知ることの重要性については、今後更に増すのではないかと思います。
世の中の傾向と同じ様に、音楽の世界も、一見多様性が増した様でいて、実の所その裏側は「複合的単一化、あるいは多層的均一化」とでも言えるような様な様相を深めている様にも見えます。様々なメディア形態、デバイスが乱立する中で、レコーディングの意味、位置も相対的に小さなものになってしまいましたが、それでも多くの場合自らが選んだ曲目、楽器、技術者、場所を選択できるレコーディングは、現在の私にとって、矛盾もありますが、最も意味があるのではないかと捉えている音楽活動の一つです。またレコーディングの意味が相対的に小さくなったと言っても、全世界的には、以前とは比べ物にならないほど多彩なレパートリーを簡単に聴く事が出来るようになったことも事実で、その点は本当に素晴らしいことだと思います。
録音であれば、作曲家が書いた音楽を、より良い純粋な形で伝えることができます。哲学的な意味では、純粋さというものが、音楽を生かすことに本当に繋がるのかどうか疑う考え方もありますが、外面的な効果や、音楽的、芸術的に不要な条件などを遮断した形で、弾く者も聴く者も「作品そのもの」を味わい、また望めばスコアを見ながら聴く事が出来る・・・まさに作曲家がいたサロンはその様なものだったのではないでしょうか・・・「作品と演奏とリスナーとの密接な関係性」を持たせることが出来るのは、究極的には現代においてもやはりレコーディングなのではないかと考えています。
このピアノについて
1927年に製造されたこのエラールは、現在京都市にある森田ピアノ工房所有の素晴らしいピアノです。第二次世界大戦で失われた、戦前のヨーロッパの伝統的なサウンドを残した、エラール自体がすでに珍しい楽器となっていますが、その中で、コンディションが良く、高いレヴェルの修復がなされ、またエクステンデッドベース(通常の88鍵ではなく、ベース域が拡張されて90鍵になっている)を持っている楽器は、かなりのレア・アイテムです。森田ピアノ工房による、細やかな作業と調整の積み重ねによるこだわりの修復がなされています。普段は滋賀県大津市のびわ湖ホールのロビーに置かれていることが多いので、そこで弾いたり、聴いたりされた方も多いに違いありません。
もともとエラールはフランスでも最も高価な楽器であり、凝ったメカニズム、最高品質の自然木や革などが使用されており、その辺りを見るだけでも目を楽しませてくれますが、弾けば音の減衰が緩やかで、これこそが本来のアコースティック楽器の姿なのだと思わせてくれます。減衰が緩やかということは、音のキレも緩やかで、余韻があるということなので、余程メカニズムが良い状態にないと、強弱のコントラストをつけにくいということでもあります。
木材や自然素材を多用する楽器というのは、特に高品質のものになればなるほど、同一メーカーであっても一台一台異なり、また経年とともにますます個性化が図られる傾向にあります。我々人間や生物や植物に近い、オーガニックな存在です。と同時にピアノの場合は、それらの素材と同時に、鉄骨(フレーム)という楽器の心臓部に近い部分に、鉄などの金属も使うため、楽器としての質は、工業力とも結びついています。ただ手作りが良いというわけではなく、工業力と手作業の絶妙なバランスのもとに成り立っているのです。ピアノの最初期はイギリスがリード、フランスが次に来て、ドイツ、アメリカ、日本というようにピアノ製造のメッカが動いていった、というのは、産業革命以降の工業力の変遷とも密接に関係しています。
ではなぜイギリスのブロードウッド、フランスのエラールやプレイエルなどがなくなってしまったのか・・・これは恐らくイギリス人やフランス人の貴族がピアノを買わなくなったこと、人件費が高くなり、コスト削減がうまくいかなかったこと、新興のアメリカ、ドイツ、日本のピアノが強くなりすぎた事の他に、重要な点として、メンテナンスの難しさという事が大きくあったのではないかと思います。現代のピアノのメンテナンス性は、少しばかりメーカーによる差異はあるものの、どのピアノも基本的には良好ですが、例えば昔のフランスのプレイエルやエラールのオリジナルのアクション調整をするのは極端に時間とコストがかかる上に、結局は完全には揃わないことも多々あると聞きます。いわゆるフランス人(やイタリア人)に見られる気質の一つ、「絶対に人の真似はしない、オリジナリティを大事にする」という部分が、逆に仇となったと言えるかもしれません。
ドビュッシーやラヴェルの時代は、音楽のみならず、文学、絵画などにおいてもフランス文化の一つの頂点ですが、当時フランスではプレイエル、エラール、ガヴォーなどが国産ピアノの代表格でした。創業当初ウィーン式とイギリス式の両方の特徴を受け継ごうとした(と私には思われる)プレイエル、或いはリストに愛され、19世紀中世界最高の名器としての評価が高く、20世紀初頭までのフランス音楽を支えたエラールに加えて、そこにドイツのベヒシュタインやブリュートナー、グロトリアン=シュタインヴェヒ、イギリスのブロードウッドやアメリカのスタインウェイなどがよく使われていたようです。
ラヴェルがエラールを弾いている写真は有名ですし、ドビュッシーがブリュートナーを所有して、またベヒシュタインを絶賛していたことなどは、よく知られています。私は1890年前後に作られたプレイエルのフルコンサートグランドを弾いたことがありますが、とても完成度の高い、現代の楽器に全くひけを取らない、パワフルな、それでいて典雅な楽器でした。
作曲家と作品について
ドビュッシーは真の超天才でしたが、30歳代までの作品は出版を許したものでも、出来不出来のムラがあり、本当の意味での成熟、完成度の高い作品が相次ぐのは40歳前後からと、個人的には考えています。それは理由の一つとして、1890年代の「牧神の午後への前奏曲」や弦楽四重奏曲を経て、1900年代の「ペリアスとメリザンド」の大成功により、自身の価値、立ち位置というものを意識したからではないでしょうか。
ドビュッシーの偉大さの一つは「現在ここにないもの」を想起する力、それを強力に感じ、最小限のマテリアルで表現した点にあるのではないでしょうか。晩年になればなるほど、そのイマジネーションが更に増大し、同時に音響世界の独自性が際立ってきます。RavelのValses Nobles Sentimentalesについてドビュッシーが残した言葉、ラヴェルの「耳」への賞賛の言葉は、そのままドビュッシーの鋭い「耳」へも当てはまります。
ラヴェルはドビュッシーに比べ、作曲家としてははるかに早熟で、10代から20代の内から、かなり完成度の高い作品を書いていました。ピアノ曲だけに限っても「古風なメヌエット」、「水の戯れ」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」などをあげるだけでも十分でしょう。
精神の深いところでは19世紀的な、それでいて反逆児的で、自身の近くにいる作曲家からは、直接的に影響を受けないように努力した跡が見られ、語法的にも自己のスタイルを確立するのに時間がかかったドビュッシーに比べ、ラヴェルは(ドビュッシーよりもはるかに)20世紀的な人間とも言えるように思います。機械文明を好んで肯定していたところも・・・。最初から、バロックや古典、ロマン派、そして身近にいた様々な先輩作曲家、例えば、サティー、シャブリエ、サン・サーンス、フォーレなどのスタイルを取り入れ、また後にはアメリカのジャズまで、かなり直接的に使用した作曲家でした。それでいて、完全に自身の世界、作風を構築しており、見事としか言いようがありません。父親はスイス、母がバスクの血が入っているスペイン人だったことは有名ですが、とても自己抑制の効いた人であったようで、よく言われるように作曲における職人芸は完璧です。
ドビュッシーのベルガマスク組曲、ラヴェルのソナチネは、伝統的な舞曲を持つバロック組曲、そして古典ソナタなどへのオマージュです。それらからインスパイアされ、それを元にそれぞれの作曲家が独自の形に発展させていったことがわかるように思います。
逆に、ラヴェルの水の戯れ、ドビュッシーの前奏曲集は過去に根ざすというよりは、未来に向かっており、当時としては前衛的な印象を与えたに違いありません。
ドビュッシーのベルガマスク組曲は、恐らく一般的な認識とは異なるとは思いますが、ドビュッシー作品の中でも最も技術的に難しい作品の一つです。基本的に1890年代のドビュッシーの作風を持つ作品ですが、ドビュッシーが15年の歳月をかけて最終的にチェックして仕上げただけのことはあり、細かなポリフォニーで書かれており、運指も複雑で、楽譜の細かな指示は殆ど神経症的でもあり、本来は玄人向けの作品です。出版までの長い紆余曲折があり、当時ドビュッシーが信頼していたデュランではない出版社から結局出版することとなり、結果として校訂作業も余り正確でなく、絶対的なテキストの確立が困難を極めるため、それも演奏を困難にします。難しいわりに素人受けが良くないあたりは、メンデルスゾーンの作品の様です。
完全な4声部が弾ける手と耳がなければ演奏できない曲ですが、それだけでなく、テクスチュアが密集していることも多く、繊細なペダリングも要求されます。またフランスバロック的な舞曲を使っていることもあり、オーバーな表現は慎まねばならないという美学的要求もあります。
ラヴェルの水の戯れは、20代半ばの作品で、師フォーレに捧げられている作品。ドビュッシーのEstampes、Imagesよりも先に「印象派的な」作品を書いたラヴェルの天才が光る作品です。所謂「水の表現」におけるリストの影響が顕著です。リズムの精緻さと揺れ、モティーフの確かな選択、不協和音や逸音の妙、強固な構成など、後に更に顕著な形で現れるラヴェルの特徴がすでに色濃く現れています。このエラールピアノでは、普通の88鍵のピアノでは弾くことの出来ない、最低音のGis3を弾くことができます。
ラヴェルのソナチネ(1905)は、規模はコンパクトながら、駄作が少ないラヴェルの全作品中でも完成度の高い傑作です。全ての楽章が幾つかのシンプルなモティーフによって有機的に統合されていて、三楽章に渡る大きなシンメトリーも感じさせます。ラヴェルがピアノソナタを、一曲でも良いので、書いてくれればよかったのですが・・・。デュカスなどの巨大なソナタ作品を見て、その逆(ソナチネ)をあえて選んだラヴェルの性格、そして思考の方向性がとても良く現れていると思われます。
ドビュッシーの前奏曲第1巻(1909-1910)は、1909年頃大腸癌を患い、自らの死を意識し始めたドビュッシーの、晩年期の初めに位置する作品です。
2巻からなる前奏曲集は、ドビュッシーが古典的な音楽語法から脱却するだけでなく、西ヨーロッパの伝統的な考え方から、古代ギリシャやオリエント、東洋的な精神へベクトルを向け、形式面でもより散文的、かつ簡潔なスタイルを追求するようになっています。曲のタイトルはあくまでも楽譜の最後にそっと添えられているだけで、かなりアンビヴァレントな態度ですが、それぞれの作品は、古代ギリシャ、フランス、ケルト、スコットランド、イギリス、スペインなどの、異なる固有の文化的、時間的背景を持ち、静と動、聖と俗(ギリシャ神話の世界から、都市の日常のありふれたものまで)、海、草原、雪、風や嵐などの自然界の現象や描写など、様々な光景が繰り広げられます。また直接の影響を受けた文芸作品としては、諸説あるようですが、ヴェルレーヌ(#3)、ボードレール(#4)、アンデルセン(#7)、シェリー(#7)、ルコント・ド・リール(#8)、ロバート・バーンズ(#8)、エルネスト・ルナン(#10)、シェイクスピア(#11)などと言われています。
この前奏曲集第1巻には、ドビュッシー自身による演奏のピアノロール録音が幾つか残っています(第1番、第3番、第10~12番)。楽譜を文字通り捉える危険さについて教えてくれます。有名な例は第10番です。オリジナル版の楽譜上では何も書かれていないのですが、完全に一部のパッセージが2倍のテンポで演奏されているということがあります。(それを元に、近年ではHenle版などで編集者によるテンポについての加筆が行われたり、Durand版などで自作自演の音を印刷譜で表す試みまでなされています。)
現在日本は最も多くの種類のドビュッシーやラヴェルのピアノ楽譜が手に入る国です。フランスやドイツのオリジナル版や原典版だけでなく、三善晃版、ペルルミュテール版、安川加壽子版、全音の松平頼則版など、様々な楽譜が手に入りますので、詳細な作品の分析や解説については、是非ともそれらをご参照ください。
2017年5月 京都にて
上野 真