Writings


このCDに寄せて


1980年代以来、私は19世紀から20世紀前半の、所謂ピアノの黄金時代の楽器に大きな関心を寄せ続けています。現代の多くのピアノがあまりにも似たコンセプトとデザインを持つ楽器になってしまったことが、逆にバロック、古典、ロマン、近代のピアノ音楽本来の姿を見えにくくさせている、ということに少しずつ気付いたからです。

作曲家固有の世界、そして個々の作品の内容を理解しようと努力する道の途上における、ピアニストとしての奏法の追求という側面もありますが、それだけでなく、楽器自体の魅力、過去の名器に宿る、今では殆ど実現不可能な、時には口頭でのみ伝承されてきた職人芸の存在、効率追求、コスト条件とは正反対の伝統的技術・・・などが、私を惹きつけるのです。
また国や地域別のキャラクターの違い、各メーカーの設計思想、デザインの違い、マテリアルの違い、一台毎の個性の違いは、大変興味深いものです。

かつては世界中で何百というピアノメーカーが、ピアノを作っていたと言われています。しかし他の多くの分野と同じ様に、時間とともにそれらが淘汰され、残念ながら現在生き残っているメーカーは僅かです。素晴らしい楽器だからこそ生き残った例もありますが、優れていても残らなかったメーカーも数多くあります。
元々ピアノ製造は、創業者、技術者、設計者の哲学や情熱に支えられた、殆ど家族経営のようなもの、個人の顔が見えるものであったようです。クリストーフォリ、シュタイン、シュトライヒャー、グラーフ、エラール、プレイエル、ベーゼンドルファー、スタインウェイ、ベヒシュタインなど皆そうでした。この点に関しては、現在のメーカーで直接的にそれが感じられるのは、私が知る限りヴェネチア近郊のファツィオリ、そしてライプツィヒの音楽文化を象徴するブリュートナー、バイロイトのシュタイングレーバーくらいでしょうか・・・。

音楽家は「音」という、一見捉えどころのないようなものと常に関わっているわけですが、それぞれの音楽作品、そして楽器の背後にはやはり強力な文化的、言語的背景、それぞれの国々や民族の集団的な心理や歴史的な特徴、そして時代の影響とでも言うべきものが色濃く刻印されています。
しかしながら現代のピアノの多くは、どこの国のものであっても、一部部品においては幾つかの共通のメーカーが作っていることもあり、殆どグローバル化しており、大枠では設計思想も似ています。もちろん余りにも異なるピアノがホールに入っていると、訪問するアーティストが困るということもあるのかもしれません。
だからこそ、その様な現状において、特に東アジア出身の一演奏家としては、過去の様々な国の楽器を知ることは大切であり、楽器の元々の姿を知ることの重要性は今後益々増すのではないかと考えています。

ところで弦楽器は100-300年前のものが、珍重されますが、ピアノについては現代の最新のものが、「最も進化したものである」などということが、果たしてあるのでしょうか? 単にメカニズムや機械的な可動部分の緻密さ、精度が求められるからでしょうか? 我々の演奏するレパートリーの多くが20世紀初頭までの作品であることが多いのにもかかわらず、特に19世紀初頭から20世紀初頭までの、作曲家が使っていたモデルと同等の、高度な品質を持つレプリカが、なぜ身近に存在しないのでしょうか? 現代のピアノの多くは興行的に成功するために不可欠な、大ホールでの演奏会で映える音量を持っています。エネルギー感を最優先させるためと思われますが、しかしその音量と引き換えに失われる傾向にある音色の点について、古典的な、ロマン的な作品の一部、インティメートな作品が求める音色とマッチするのでしょうか? また他の楽器とのアンサンブルでの相性が良いと言えるのでしょうか?
勿論現代の世界的なフォルテピアノ製作者は、彼らの個人的な工房で、大作曲家所縁の一部のモデルを作っていますが、バックオーダーが数十年先まで埋まっているそうです。

19世紀、20世紀前半に作られた銘器は、もう二度と戻ってこない時代を体現した存在です。仮に楽器の状態が、製造当初の状態からは遠く、完全にオリジナルの状態でないとしても、また演奏するには気難しいとしても、根幹の部分が生きていれば、「音楽ができる楽器」がやはり多いのです。今回使用した二台のピアノのように、過度なレストアの手が入っていない、古いオリジナル楽器は一般的に、本体の鳴りが良いこともあり、或いはメカニズムの摩耗などもあり、現代の新品の楽器、超高精度の楽器ほどには、極端なffやppなど音量のコントラストや、声部のコントロールができないことが多いのが普通ですし、パワーに依存する音楽づくりができない部分もありますが、それも味の内の一つなのではないかと思います。

私は趣味で写真を撮るのですが、写真の世界に置き換えると、一般的な傾向としてデジタル化、高画素化、ワイドダイナミックレンジ化が進む近年は、コントラスト、シャープさ、エッジの効いた画像が基本的に好まれ、1970年代頃までは、フィルムのコダクロームの独特の淡い色彩や、白黒写真における、トライエックスやイルフォードの階調性、粒子の美しさなどが大切にされていた事と、少し似ている様にも思います。更に遡って19世紀に眼を向けると、ダゲレオタイプの時代の美意識やテクスチュアについても考えさせられます。
21世紀的なレヴェルのコントラスト、シャープさが、必ずしも最も大事なものではなかった時代の方が遥かに長いと言えるのかもしれません。(蛇足ですが、コダクロームは、レオポルド・ゴドフスキーの息子、ヴァイオリニストのレオポルド・ゴドフスキーJr.と、ピアニストのレオポルド・マネス・・・二人とも音楽家・・・に依って開発されたことをご存知の方も多いことでしょう。)


ブラームスのピアノ、そしてこのシュトライヒャーとベーゼンドルファーピアノについて

ブラームスが弾いていた楽器については、1850年代(20歳代)以降の足取りは大体掴めています。ローベルト・シューマンが亡くなった後、クララ・シューマンからコンラート・グラーフを譲り受けました。これは彼らの婚礼祝いとしてグラーフが贈った、シューマン家愛用の1839年製のものでした。1856年クララ・シューマンは新しいエラールを手に入れたので、そのグラーフをブラームスに譲ったのです。このピアノはウィーンの楽器博物館に現在でも置かれています。

ブラームスは1860年代にウィーンに定住することになりましたが、ウィーンに移ってからは、シュトライヒャーやベーゼンドルファーを弾き、1870年代以降、特に協奏曲の演奏会の時は、当時新しいピアノメーカーだったドイツのベヒシュタインやアメリカのスタインウェイも使っていたようです。ただし自分のアパートには1868年製のシュトライヒャーを1897年に亡くなるまで所有して弾いていたようですし(この楽器は第二次世界大戦中に焼失)、ウィーン式とイギリス式のアクション両方、新しいピアノと古いピアノを自在に行ったり来たりしていたようです。それらの楽器の違いについては、非常に大きな関心を持っていたことが手紙などからも明らかです。

この録音で使用したJ.B.シュトライヒャーは1846年製で、ベーゼンドルファーは1903年製です。シュトライヒャーは当時のフルコンサート・サイズでアングロ・ジャーマンアクション、ベーゼンドルファーはサロンに適したサイズ(約200cm)のもので、ウィーン式アクションを持っています。ベーゼンドルファーは長い間イギリス式と、ウィーン式のアクションを注文に応じて作り分けていたそうですが、20世紀に入って徐々にイギリス式に一本化したようです。シュトライヒャーは平行弦、ベーゼンドルファーは交差弦の楽器です。

1850年代初頭に作曲されたソナタ、1860年代に作曲されたワルツをシュトライヒャーで、1890年代に作曲された晩年の作品をベーゼンドルファーで演奏することにしました。
シュトライヒャーはベートーヴェンとも関係があった19世紀ウィーンを代表する名器です。モーツァルト所縁のアウグスブルクのシュタインの家系でもあり、現在でもウィーンにはシュトライヒャー家が存在するとの事、19世紀の中頃から終わりまで、様々なモデルが存在し、ピアノの設計変更も多々行なっていたようです。
ベーゼンドルファーはほぼ190年間存続している、現存する最古のピアノメーカーの一つです。
これら2台の楽器はハンマーなどの多くのパーツが、オリジナルの状態のもので、とても貴重なものです。


ブラームス その人と作品について

ブラームスについては、1997年に没後100年を記念して、日本ブラームス協会(音楽之友社刊)により、「ブラームスの実像」という貴重な本が出され、また21世紀になってから、音楽之友社から、3巻からなるブラームス回想録集が翻訳出版され、ブラームスと同時代を生きた人々による、ブラームスに関する証言を、日本でも多数読むことができるようになりました。
三大Bの一人などと言われる音楽の巨匠としてのブラームスの姿だけでなく、生き生きとした会話の様子、好んでいた事柄、美学や趣味、愛読していた文学作品や音楽書、政治的な思想などを知ることができます。

ブラームスは、その人生においても、作品においても、きらびやかさを好まず、細部へのこだわりと、時間をかけた入念な仕上げにこだわりました。
ブラームスの作品の多くは、内面的なものであり、その高い作曲の技術が、長いスコアとの対話、練習の末に明らかになることも多く、また最後が静かに終わるような作品も多いため、一般的に大きな拍手、成功を求める演奏会向きではないと言えます。

今回のCDの曲目は、20歳で書かれた作品1のソナタから、30歳~40歳前後の中期の作品ワルツ、60歳前後に書かれた最晩年の作品まで、ブラームスの生涯を俯瞰する内容になっています。

作品1から始まる最初期の作品は主にピアノ作品で、特にソナタはシューマンに絶賛されたものです。有名な逸話ですが、この作品をシューマンが当時批評を書いていた音楽雑誌で取り上げ、大絶賛したことがきっかけで、ブラームスは世に出たのです。シューマンがライプツィヒのブライトコップフ出版社に何度も手紙を書き、その作品が数ヶ月の内に出版された記録が残っています。

10代の頃からピアニストとしてあらゆる場所で仕事をしていましたが、作曲はピアノ作品から始め、歌曲、室内楽作品、協奏曲、そして合唱曲へと、少しずつ作曲家としての経験を積み、作品68でようやく交響曲第一番を書いたのでした。
彼の作品について、往年の名指揮者W. フルトヴェングラーは、近代西洋音楽の歴史上、最新の音楽語法を用いない、初の大作曲家であると書きました。確かに彼が追求した音楽は、それまでの西洋音楽の、調性を土台とした音楽語法の集大成である感があります。1830年代生まれという時代もありますが(サン=サーンス、バラキレフ、ムソルグスキーetc・・・)、それまでの誰よりも過去の音楽に目を向け、大作曲家の先人、巨匠の作品を研究しようとした、意識的な作曲家でした。その姿勢は、初期作品から晩年の作品まで、一貫しています。

結果としてソナタ形式、ロンド形式、リート形式、変奏曲形式、舞曲形式、フーガ形式、パッサカリア形式など、代表的な全ての器楽形式/様式を極めた感があります。特徴としては、オペラを全く書かなかったことです。そして、それらすべてを通り越した後に到達したのが、作品117、118など晩年のピアノ曲集です。

彼の多くの作品は高尚な芸術観を備えているのですが、それと同時にかなり人間的な側面もあります。ワルツ集作品39やハンガリー舞曲集などにも見られるように、当時流行りであったワルツやハンガリー音楽など、世俗的な要素も取り入れつつ、大作曲家のみが可能な、バランス、多様性、磨きをかけてある点が特徴です。

またブラームスはリストとは異なったスタイルのピアノ編曲の達人でした。有名なところでは、ショパンのエチュード(Op.25-2の重音編曲)やウェーバーの作品の編曲、バッハのシャコンヌの左手のための編曲、またベートーヴェンやモーツァルトのピアノ協奏曲のためのカデンツァが残っています。リストだけでなく、ブラームスの編曲技法が、その後のブゾーニ、そしてゴドフスキー、ラフマニノフなどへ大きな影響を与えたものと思われます。(ラフマニノフはブラームスのピアノ書法に対して、批判をしていたようですが。)彼が晩年出版した51の練習曲は、ブラームスのピアニズムを理解しようとする者にとっては必修のものです。

ブラームスはドイツ音楽の伝統、そして調性音楽の斜陽と終焉を強く意識していた作曲家でした。後に続くマーラー、シュトラウス、ヴォルフ、シェーンベルクなどの若い世代の動きを察知しつつも、ギリシャ時代から続く古典、中世とルネッサンスから培われた音楽の技法を最高の形で取り入れ、調性音楽の傑作を創ることができた最後の作曲家の一人であったと思います。

今回も大阪・クリストーフォリ堺の山本宣夫氏、波多野みどり氏には大変お世話になりました。時間を度外視してお付き合いいただいた彼らの友情、音楽への愛、真摯なピアノ作りに心より感謝致します。

2019年1月 京都にて記す

上野 真