Writings
ショパンの練習曲集・・・特に若い学生に向けてのエッセイ
使用楽譜、使用楽器について、そして目指したもの
言葉が終わるところから音楽が始まる、とは昔から言われている名言である。
そもそも演奏の最も奥にある微妙な部分は、ある種の秘密めいたものでもあり、音楽の構成要素、リズム的、旋律的、和声的論理、分析、いわゆる一般的な演奏法の領域を超えたところから始まるように思う。そしてその扉は簡単には開かない。
今回のレコーディングプロジェクトは、昨年から今年にかけて、京都市立芸術大学大学院でショパンとモシェレスの練習曲の研究・演習授業を担当した延長上にあり、また京都市立芸術大学の特別研究助成を得られたことも一部きっかけになり実現した。
ショパンの演奏法や楽譜の諸問題について、深く意識している学生は僅かということもあるので、特に言葉のプロでもない私が、演奏を言葉で語ることの虚しさ(と愚かさ)を年々深く感じているものの、そしてその事によりかえって饒舌になり過ぎることを恐れつつも、ミレニウム世代の学生に対しての情報提供という側面を意識して、そして多少の自己弁明も含めて書くことにしたい。
ショパンの練習曲については最初に勉強し始めたのは11歳の頃だった。17歳の時点で全曲を練習し、大体の把握はしていたものの、ある程度の許容レベルで全曲が弾けるようになったのは20代後半、演奏会で全曲を演奏したのは38歳の頃だった。50歳代となり、音楽的イデアに気付くことが増えるとともに、肉体面では下降線に入る。
随所に名人芸、職人芸を感じさせるバックハウス(1928)、ファンタジーに溢れたコルトー(1933/34)、聴き進むにつれて考察の深さの印象が増すアラウ(1956)、退廃的だが詩的なフランソワ(1958/59)、そして現代のピアニズムを具現したポリーニ(1972)など、ピアニズムを方向付けた、歴史を作ったピアニストによる素晴らしい全曲レコーディングがある。
特に1970年代以降、世界の、ロシアの、日本の演奏家もショパンの24曲を取り上げ、またレコーディングもしている。その中には優れたものも少なくない。
その様な中で、2020年に新たにレコーディングする意味とは何だろうか?
それが成功しているかどうかはともかく、自分自身に課したいくつかの条件は以下の通りである。
20世紀はルービンシュタインを始めとする偉大なピアニスト達が、ショパンをサロン音楽のカテゴリーから解き放ち、3000人の大コンサートホールでもショパンの音楽が語りかけられるようにした。
ショパンはサロンの演奏家ではなかったのか、という議論も、最近は余り聞くことがなくなってしまったが、やはり本質的な部分において、フランス文化を中心とした芸術サロンの形態が、ふさわしい発表の場であったのではないか。
ウィーンでもパリでも、大ホールにおけるショパンの音量の小ささはいつも批判されていた。しかしプライヴェートな演奏環境でショパンが演奏すると、ショパンのイマジネーション、叙情性、詩的サウンド、そしてその繊細な語り口に、皆が魅了されたと伝えられている。若きリストは明らかに多くの聴衆が集まる(当時の)大ホール向きの演奏家だったが、ショパンの演奏は、大ホールの演奏に不可欠な、ある種の「表現の誇張」とは無縁で、オペラに影響を受けたとはいえ、本質的には大げさなもの、Theatricalなもの、大声をあげるものとは異なる次元のものだったのだろう。
ショパンの殆どの音楽は、芸術サロンで理解されていた芸術でもあり、小さな美術館や、小ホールでの演奏、その延長線上にある「録音という媒体によってのコミュニケーションを取ること、1名、或いは少人数に対して、インティメートに音楽で語りかける形式は、ショパンの作品にとって、1つの理想でもあるように思われる。
もちろんショパン作品には民族性と汎ヨーロッパ性、貴族性とブルジョワ的な感覚、デリカシーと大胆さ、古典性とロマンティシズム、スノビズム(ここでは宗教性とは言わないでおく)と世俗性、現実逃避とリアリストの側面など、相反する要素が複雑に同居しており、それらがピアニズムの完璧さと渾然一体となって、19世紀前半のヨーロッパ芸術の、過去300年間のピアノ・リテラチュアの金字塔とも言える類いまれなる魅力を形作っている。
言うまでもない事だが、ショパンの多くの作品が持つ力強さの質は、リスト、ブラームス、ましてやラフマニノフやプロコフィエフの作品の多くが持つエネルギーの質とは全く異なるであろう。ショパン作品でもValse Brillante、Grande Polonaise、Allegro de Concertなど、大きな会場での演奏に向いているものもあるが、大きなホールには決して向かない作品というものも多くある。この練習曲集の場合は異なる方向を持つ作品が混在している。
どのような作品であっても、2000人収容以上のホールで、ホールの隅々にまで届く音で、聴衆の一人一人に伝わる様に弾くということ、その理想は20世紀以降のピアノやピアニズムを大きく発展させたが、それが同時に、深い伝統や、複雑かつ素朴な芸術性、表現の多様性の衰退、或いは消滅(?)、コンサートやコンクールで演奏する曲目の極端な画一化などにも繋がった様にも思われる。
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ショパンがこれらのエチュードを作曲した1820~30年代は、その後約1世紀続くことになる、いわゆるピアノの黄金時代の始まりでもあった。ショパンがモデルとしたのは、精神的にはバッハであり、モーツァルトであったが、実質的にはイタリア・オペラ作品がベースにあり、ピアニズムの点ではクレメンティ、フンメル、フィールド、ウェーバー、モシェレスなどであった。彼らの作品は、まだ比較的新しい楽器で、当時成長途上にあった「ピアノフォルテ」という魅力ある楽器の、様々な作曲法や技術的可能性を表している芸術作品であった。
しかしショパンが僅か20歳から25歳前後に作曲した練習曲は、それら当時ヨーロッパ中に知れ渡っていた巨匠の多くの作品とは何か異なる次元とインスピレーションで書かれている。またショパンの最初期の作品群からも大きな隔たり、距離、飛躍があり、作品9の3曲のノクターン、2曲の協奏曲、そしてこのエチュードから、作品を世に問う際の、そして出版するにあたってのショパンの思考と意識が、別のレヴェル、段階に入ったことを示している様に思われる。
そこには初々しさ、新鮮さ、大胆さと同時に、老練さ、慎重さ、周到なまでの完成度が同居していることに感嘆を禁じ得ない。その書法は、ピアノ音楽のスコアとして完璧である。
1833年6月に出版された作品10はフランツ・リストに、1837年10月に出版された作品25はマリー・ダグー伯爵夫人に献呈されているが、この練習曲集作品10と25はリストを意識において出版に臨んだ作品だったと言えそうだ。(因みに1840年1月に出版された3つの新しい練習曲集はイグナツ・モシェレスを念頭に置いている。)
1830~1840年の時点において、20代でこの比類ない12曲の2冊を書いたということ、調性とキャラクターのグルーピング、革新的なピアノの技術と音楽的Substance(内容)の均整、詩的な領域、いわゆる叙情性、歌謡性においての圧倒的な閃き、静謐な存在感等、それらは天才のみが成せる奇跡である。
アルフレード・カセッラは、広大な全ピアノ作品の中で、明確に定義された「Didacticな・・・教育上の目的」を持ちつつも、単なる鍵盤的技術と学究的な構成を超えて、音楽的な幻想と表現の高みに到達しているという点で抜きん出ている作品として、バッハの平均律クラヴィーア曲集とショパンの練習曲集の2つが別格であるとしている。
広く知られていない作品の中にも素晴らしいものが多数隠されていることも事実だが、17~19世紀に生まれた技巧的クラヴィーア/ピアノ作品の内、賞味期限を過ぎている多数の作品があるのに比べ、時が過ぎてもその新鮮さが全く失われていないということも驚異的なことである。
ショパンの現役時代に12曲、或いは24曲を演奏会で続けて弾くなどということは、ほぼ考えられなかったようだ。
20世紀中頃までは、一般的には一曲を単独の作品として、或いは数曲を演奏することが多かったようだが、現代では12曲、或いは24曲を一つのユニット、時間の流れとして考える解釈があっても許されるであろう。それが作品の奥行き、広がり、ショパンの音楽と想像力(創造力)の素晴らしさを別の角度から認識して味わう事になる。
広く知られている様に、12という数は西欧文化圏において、伝統的に宗教的な意味において象徴的な数であり、この練習曲集の場合は、それを6曲ずつに分けても、4曲に分けても、或いは3曲や2曲ずつのユニットに分けても、全く破綻しない構成になっている。芸術作品として12曲が一つの環を作っていて、その背後には大きな観点からの音楽的・芸術的・ピアノ技術的な意図がある、という事を弾く度に感じさせられる。
1曲、或いは2、3曲弾く(聴く)場合と、12曲、或いは24曲通して弾く(聴く)場合は、弾き(聴き)方が変わる。今回は12曲、或いは24曲全体を通して聴いた時のバランスが取れる(と私が考える)音楽作りをすることを、目指した。
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また今回のレコーディングでは、テキスト的に、可能な範囲内で、過去半世紀のショパン研究の反映をさせたいと思った。ショパンの楽譜を出版することの難しさについては、既に語り尽くされた感がある。(ここではショパンに関する伝記や著作については立ち入らない。但しEigeldingerの著名な研究本、そしてショパン自身が書き残した演奏についてのメモなどについては、多くの影響を受けたことを書いておきたい。)
ショパンの楽譜、スコアを、演奏できるように確立させることについては、バッハをほぼ唯一の例外として、他の作曲家には見られないほど多くの問題点がある。というのも、ショパン存命時代にもフランス、ドイツ、イギリスなどで、ほぼ同時に初版やその第2刷が出されており、それらが、一致していない部分、異なる音やスラー、装飾音、アクセントなどを持つ事が頻繁にあるためである。ショパンが弟子たちの楽譜に書き込んだ異なるバージョン、指使いなどの指示も、理解への大きな鍵となる一方、事柄を複雑にしている。
ショパン自身の手書きの原稿や、その手書きのコピーなども残されている事も多いが、それら全てが、異なるディテールを持つ。現代においては、ワルシャワのショパン協会が出している、いわゆるエキエル版が最新最良とされているが、この版の先進性、テキストの選択は行き過ぎとの声もある。近年ヘンレ、ベーレンライター、ペータース等の出版社からも、国際的なショパン研究者による新版が開始されている。それほどまでに全ての出版譜が、異なるポリシーのもとに出されているのである。加えて人間の成す事、偶々起こる印刷ミスが必ずあるのは当然のことである。
ショパンの特性として、「絶対的なスコア」というものが存在するのか、それとも存在しないのか、また作品によって自由度の違い、即興的な要素がどの程度許されるのか、重要な論点である。
複数のテキストを混在させて演奏する事に否定的な意見もあるが、2000年前後に改訂されたエキエル版をベースにしつつも、19世紀からの伝統的なエディション、そしてマニュスクリプト(手書き譜)にも注意を払うことにした。出版当初に比べて、現在ではエキエル版に対する抵抗感もかなり薄れた様である。やや革新的に過ぎるテキストの選択も時々あるが、解説や校訂報告を含め、情報量と研究の質はやはり秀逸なものがあると個人的には思う。
難しい側面として、それぞれの時代の、いわばスタンダードとでも言える楽譜があり、それ故一つの世代がその楽譜と共に育っているということがあり、耳に慣れ親しんだ音を、根底から覆される(置き換えられる)という事は、あまり心地良いものではない。
私の幼少時代はショルツによるペータース版などもまだ広く使われており、世界的にパデレフスキー版の存在が大きかったものの、ヘンレ版やウィーン原典版が現れ始めた時代でもあった。それぞれに美点と欠点がある。
未だに多くの議論を呼ぶ有名なケースとして、作品10の第3番、第6番などの例があるが、全ての曲に関して、音の選択にとどまらず、スラーの不規則性、タイの有無、拍子の表記、異名同音の表記、表情記号の正誤、アクセントの位置、ほぼ同時期に出版された各国の初版譜(と第2刷など)のヴァリアントの混乱など、ショパンのテキストを確かなものにするには、多くの難題が立ちふさがっている。より真実に近づくことはできるかもしれないが、絶対的に「確立」することは不可能なのかもしれない。しかし現代のショパン研究では、多くの研究者の努力により、以前は見過ごされてきた点も含め、多くのことが、かなり細かい面まで明確になりつつあることも事実である。
1970年代に出た(現在は改訂版も出ている)バドゥラ=スコダ版の存在意義も素晴らしいものがある。当時の新しい研究に敬意を払いつつも、過去の巨匠の考え方や伝統的な複数のテキストも反映しようとしている。
そして古いテキストではあるものの、ショパンの系譜に繋がる解釈を知ることができるプーニョ版、ミクリ版は洞察に満ちているし、ドビュッシー版は、別格の2人の芸術家の共作という趣があり、フィンガリングも美しいもので、個人的にはとても気に入っている。
言うまでもなくコルトー版も重要なものだ。しかしこれをスタンダードと考えるべきではなく、プーニョやミクリ、ドビュッシーなどの前例があった上での、「コルトーというユニークな、稀有な演奏家の考え方を知ることができるもの」だと私は考えている。
カセッラとアゴスティーによるショパン作品の楽譜も非常に多くの示唆を与えてくれる。カセッラは作曲家であり、パリ音楽院でフォーレの弟子、ピアノはコルトーと同じくディエメに習った。アゴスティーはカセッラとブゾーニの弟子でもあり、イタリアのピアノ音楽界において1980年代まで影響力のある重要な仕事をした人物。ベートーヴェンのカセッラ版も今となっては非常に新鮮に感じるが、ショパンの楽譜もなかなか面白い。20世紀初頭から中頃にかけての西欧、中欧的伝統、イタリア、フランス、ドイツ系の音楽家による、一つの方向性、考え方を教えてくれる資料である。
またドイツや日本では、多くのものが既に絶版になってしまったが、クロイツァーによる校訂版が出ていた(再版を期待したい)。これは20世紀前半のペテルブルク派のピアニズムを知る貴重な資料と言えよう。
そして山崎孝氏による練習曲の校訂版2冊は、その後に続く多くの日本の若きピアニストたちに、多くの刺激とインスピレーションを与えた包括的力作だと思う。
現在は原典版全盛の時代である。多くの異なる原典版が競い合っているような状況であり、大変恵まれている環境である。
しかし、今は亡き園田髙弘氏がそのベートーヴェンの校訂楽譜で書いておられたように、作曲家の周辺にいた音楽家による校訂版や、過去の名演奏家による校訂楽譜が、もはや不必要なものになってしまったのかと言えば、それは全く違う、と私も思うのである。
作曲家が生きていた時代は今後益々遠のき、当時には当たり前、自明の理であった事柄、価値観を体感すること、追体験すること、想像することが更に難しくなってきている。
新しい研究を反映した原典版は今後更に増えるものと思われるが、同時に、過去に根ざした楽譜の重要性は更に増しているのだ。
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今回の録音の中核コンセプトとしては、ピリオド楽器でなく、スタインウェイでもない、現代のピアノを使う事を当初から考えていた。
今日では24曲の練習曲全曲が、演奏会でも当たり前の様に弾かれるが、実は19世紀のショパン時代の楽器にとっては、それなりに負荷のかかる作品だったと想像できる。
15年ほど前に19世紀中頃のプレイエルで、練習曲24曲をコンサートで演奏したことが何度かあり、それは現代のピアノとは異なる魅力あるものであったが、3日間、または4日間に及ぶ24(27)曲の全曲録音のレコーディング・セッションに、安定感を持って耐えられるメカニズムを備えた、19世紀前半に作られたオリジナル・プレイエル、或いはエラールを、現時点で見つけることは難しかった。
1830年前後の中央ヨーロッパの楽器は総じて軽く、素早いleggieroが可能であった。特にショパンの20歳前後までの作品は、当時のコンラート・グラーフなどのウィーン式の楽器が最もふさわしいと言える。実はベートーヴェンが最晩年に使っていた楽器と、ショパンが練習曲や協奏曲をウィーンで弾いていた楽器はほぼ同じものなのである。
メカニズムが完璧な、オリジナルのグラーフがあれば、いつか改めて協奏曲や練習曲を録音してみたいと思う。全く別の表現、演奏となるだろう。
今回のレコーディングでは、フランスに移ってからの1830年頃のショパンの楽器を彷彿とさせるもの、或いはショパンの音楽のイメージに近い、と現在の私が考える、現代の楽器を使用することにした。軽やかさは若干犠牲にしつつも、古典的な品格が感じられる楽器ということで、今回はファツィオーリF308という、現存するプロダクションレベルのピアノの中で最も大型のピアノを使用してみた。
私は実際の演奏会でも、CD録音でも、できるだけ1つの楽器に限定せず、可能な限り新旧様々な楽器を使用してきた。楽器を定めないということは、ポリシーが無い訳ではなく、実は勇気の必要なことであり、リスクでもある。殆どの演奏アーティスト、レコーディング・アーティストは、特定の楽器を定め、特に現在のピアニスト、ピアノ音楽の分野でスタンダードとされている、ハンブルグ製スタインウェイのフルコンサートグランド・モデルD-274を使用している。今の私の考え(期待)は、現在の新しいハンブルグ製スタインウェイの楽器としての凄さ、優秀さは理解しつつも、世界には別の価値観で作られた楽器、個性的で優秀な楽器が他にもあり、それらに触れ、メカニズムを体感することによって、楽器のみならず、作品の多様な側面を理解できるようにもなっていく、というものである。音、ソノリティー、響、余韻などが違うということは、一つの作品を別の角度から見つめることや聴くことに繋がる。解釈を固定することが演奏の目的とは言えないと考えている。
但し様々な楽器を縦横無尽に扱うには、単なる知識のみならず、全く異なるメカニズムに対応出来る技術が必要であり、それが演奏するアーティストとしての奥行きを増し、腕を上げていく事に繋がると考えている。通常歳をとるとリスクを避けていくことになるが、身体的に可能な限りは勉強を続けていきたいものだと思っている。そのためにも文献や音源などでピアノについて研究するだけでなく、いつも実際に弾く、演奏会で使う、CD録音で使う、技術者の話を聞く、そしてピアノを作り、修復する現場を見る、ということを心がけているつもりで、それがより良い演奏にも反映していくものではないかと信じている。
ファツィオーリ・ピアノは1981年の創業で、比較的新しいピアノのメーカーだが、近年既に重要なピアノ・メーカーとして認知されてきている。スイス、オーストリア、タイ、東京、そして現地の美浜町でもピアノを何度かテストした。伝統的な設計を残しつつも、まだまだ実験的精神にも満ちているメーカーのようだ。例えば同じモデルであっても、全く新しいフレームデザインを試したり、木材の使い方の改良を行ったりと、創業者のPaolo Fazioli(現社長)自らがその楽器制作に深く関わっていると思われる。特に他のピアノとの目に見える違いは、そのサイズ(F-308の場合)、4つ目のペダルによる打弦距離と鍵盤の深さの可変機構、独立したアリコートブリッジ(倍音を発生させる)など。
現代的なファツィオーリを使う、それも世界最大のピアノF-308を弾く事は、見かけ上はダイナミズムを優先したように見えるが、実は音量やコントラスト重視の楽器ではない。ベーゼンドルファー・インペリアル290などもそうだが、F-308はケースが大きいため、鳴り始めと終わりがゆっくりしており、特にベース音、低音の響きが長め、そしてやや重めの鳴り方をする。アクションと音の時間差が長め、また音の立ち上がり方や切れ方も乾いてはいるが鋭くないので、テクスチャーを明確にするためには、テンポはやや遅めになる。
勿論ボディーやアクションの構造は全く異なるが、19世紀中頃のショパンが弾いていたプレイエルに近い感じがする。ルックスは現代的な、大きな楽器ではあるが、プレイエルのややドライな感覚、強弱のコントラストが極端に出過ぎないこと、狭いダイナミクスの中でのニュアンスの味わいなどにおいて、似ている部分があるように思う。
スタインウェイのレスポンシヴなアクションとサウンドによる、煌びやかで、ダイナミックな音楽作り、現代的でアクティヴなテンポ感を誘発する方向とはかなり異なるが、ファツィオーリにはクラシカルな、節度のある魅力があると感じている。
そしてF-308の一つの特徴の、4つ目のペダルを、今回の録音で一部ではあるが使用している。
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現在の楽器は当時の楽器と異なるものの、できるだけショパンの特徴とでも言うべきキャラクターを生かすやり方を意識し、現代風の精密さ、コントロール、コントラスト、ダイナミズムの誇張を避け、中庸とは言わないが、テクスチャーが明確な、知と情のバランスのとれたものにしたいと考えた。
解釈上でも自分なりに19世紀~21世紀的なピアニズムの折衷案、中間地点を目指した。言葉にすると甚だややこしいが、あえて書けば、テキストは現代のものを使い、19世紀的なロマンティック・ピアニズム、或いは20世紀前半の伝統的な奏法の洗礼(影響)を受けつつも、20世紀後半以降の中央ヨーロッパ的、或いはポーランド的(と私が考える)解釈も意識した、全体としてはやや古典的な作り方の音楽をすることを目指した、ということになる。
ディテールに関していえば、例えば、ややもすると見過ごされやすいスラーを、ショパンの意図にできるだけ近づけることに、又アルペジオや装飾音については、現代ポーランド風のものにすることに(但し、理論があまり表面に出ないように、単調にならないようにするのが難しい)、そして表現を出来る限り20代前半のショパンの簡潔で格調のあるものにすることに腐心した。(この練習曲集の世界観は、ロマン派最後期にも通ずる、晩年数年間のショパン作品のものとは異なると私は考えている。)
テンポの設定についてはエキエルの解説にも、詳しく書かれているところである。
エキエル版では伝統的に4分の4と記されてきた多くのエチュードが、 2分の2拍子に変更されているが、恐らくこれはショパンの当初の意図であっただろう。しかし前述の通り、ショパンがこの曲を最初に作曲した頃の楽器、おそらくポーランドや中央ヨーロッパで使われていた5オクターヴから6オクターヴの、中央ヨーロッパやウィーン製の楽器と、フランス移住以降に演奏していたフランスの7オクターヴの楽器、殊に1840年以降の楽器は、構造やメカニズム、鍵盤の重さやサイズなどの点で大きく変わっており、すべての曲においてオリジナルのメトロノーム・テンポが絶対的なものとは言えないであろう。
当然ながら、演奏する楽器、ホール、又演奏者による裁量の範囲というものがある。曲の内容、テクスチャー、性格が偽りなく現れることが一番重要であろう。
ショパンが書いたメトロノームのテンポをある程度は尊重しつつも、現代ピアノの深い、重みのあるアクション、音量と音圧の増大、音の止まり方の特性の違い、などを考慮し、速いテンポ、単純な達成感のようなものに依存し過ぎない音楽作りをすることを目指した。
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このCDの製作には多くの方々のご協力を頂きました。多大なる感謝を申し上げます。
京都市立芸術大学からの2019年度特別研究助成を受けるにあたり、学長を初め、同僚の先生方、そして事務局や教務課のスタッフの方々に大変お世話になりました。又福井県美浜町の生涯学習センターなびあす、ファツィオーリ・ジャパン、オクタヴィア・レコードの各スタッフの方々、そして数年前からこのプロジェクトをコーディネートして下さった野原広子さんに、この場を借りまして心よりお礼申し上げます。
2020年初秋 京都にて記す。
Recording Location: 福井県美浜町生涯学習センターなびあす
Shougai-Gakushu-Center “Navi-us”, Mihama, Fukui, Japan
Recording Dates: 24~27. March, 2020
Piano: Fazioli F-308 #2047
Piano Tuner: Akira Ochi
Coordinator: Hiroko Nohara
This recording is made possible partly by a special grant by Kyoto City University of Arts. (Special Research Fund 2019-004)